か麗の島 No.18

吾が台湾訪問レポートも、間もなく連載20回の大台を迎えようとしている。
今日は、第4コーナーに当る北投温泉にまつわる話題
放射能鉱石である北投石」についての続編である。
前回は、福島第1原子力発電所<=略称F1>の事故をめぐる今日的な見解を披瀝した。
とは言え、メルトスルーメルトダウンなる最悪の事態から既に3年以上が経過したが、
現状把握は全く出来てない。近い将来メルトの現場を視認できる可能性すら無い。
現代の科学は、何らかの工夫をこしらえて、変化の過程を視認することで、進化を果して来たが。
ことF1に関しては、あまりに危険な状態で、観察装置を現地に送り込む=アクセス環境の構築がいつ実現するかの見通しすら、立ってない。
実態把握ないまま、冷却水を投入し続ける。
更なる加熱反応や爆発的化学反応へと移行しないよう単に祈っている状態に過ぎない。
現在進行中の反応が、今後も継続する保証はない。
現状の注水継続による推移は、単なる希望でしかない。
根拠となる科学的知見を全くもたないままでの・あくまでも非科学的な希望的見通しに過ぎない。そのことを忘れてはならない。
それでもって、前稿では今日的・悲観的・一面的な私的見解であると締め括った。
圧倒的情報不足に立つ・苛立たしい状況が、いつまで続くことであろうか?
さて、今日の話題は、核物理学の誕生初期の回顧である。
結論めいたことを冒頭に述べておく。
当時生まれたばかりの核物理学の未来は、明るい光の中で輝いていた。
圧倒的知識不足に基づく科学万能が信じられた・古い良い時代であった。
さて、前置はこれくらいにして本題に入ろう
F1以後、ニュウス報道は放射線レベル〇〇ベクレルなどと耳新しいことを告げる。
記号Bq=詠みベクレルは、放射能の強さを示す国際単位である。
この放射線呼称は、放射能の発見者であるA.H.ベクレル(1852〜1906 フランス・物理学)に因んでいる。
彼は1896に、ウラン鉱石の側で黒い遮光厚紙を透して、写真乾板が感光する事実を発見し・報告した。
その単純なる事実を以て1903ノーヴェル賞をキュリー夫妻と同時に受賞した。
キュリー夫妻のノーヴェル賞受賞となった業績は、単純にラジウム&ポロニウムの発見だが。『放射能』なるコトバを創造し・核物理学を新たに開くキッカケを築いた。
そこまでの踏込みがなければ、ベクレルの受賞も無かったに違いない。いささか余談だが、彼は何もしないで濡れ手に粟を得るフランス男の典型だ。
当時光の無い闇夜に発光するウランガラスなる不思議な骨董雑貨があった。
マリー・キュリーは、そのウランガラスを抽出したアトの残り滓<大量8屯もの鉱物残渣>を貰い受け、その中から放射線の強い部分のみを選び出し・不純物を除き・更に純度を高めて・単離した。
次に夫ピエールが、その目的用にと個別に開発した専用測定器を使って、放射線量の強度を測り。マリー・キュリーは、メモを残す。
科学の最先端研究とは、そんな出口すら容易に見通せない・ダサイ仕事の繰返しであった。
当時の科学観へ挑戦し・それを否定する結論へと導く・皆が共有する科学常識に反する点において、まさに危険な研究であった。
宇宙や地球・つまり自然界に放射線が存在することは、宇宙創設以来の現象だが。
迂闊極まる人類は、今から120年前まで、そのことに無知かつ無頓着であった。
無頓着であることに人類史・科学史上の背景があったからである。
グレコローマンの時代から約2千年以上のもの長い間、元素はあらゆる物質の最小構成要素にしてかつ不分割・永久に不変な存在であると考えられていた。
これが当時の科学界の常識であった。
だからベクレルは、発見後に何もしなかった。とも言える
発見すらも、レントゲンの真似であった。
少し脇道に逸れるが、エックス線が遮光された写真乾板を感光させることをレントゲンが発見・報告したのは前年の1895であった。
レントゲンはその功績をもって1901第1回ノーヴェル賞を受賞した。
因みにベクレルが発見したのは自然放射線・レントゲンが発見したのは電磁波。科学的事象として一見似ているが物理性は全く異なる。
マリー・キュリーは、博士号を得るための研究・このような長期間の肉体労働を経た後に・意想外の大金星を捕まえた。
科学界の表舞台に、華々しく登場することとなった。
ラジウム&ポロニウムの発見と放射能なるコトバの創造である。
学会報告に添付された科学的計測データを記録した資料が、最も効いた。
放射性物質の量の増減と放射線量の変化との間に、正確な対応関係があることを証明するエヴィデンスである。
2千年超の人類の常識は、理論的背景不明のまま一挙に覆ることとなった。
それが「なんと女の仕業」であったから、世間は一層驚いた。
そもそも今昔の感甚だしいが。当時女性は、社会的存在ですらなかった。
単独で財産を管理する権能<=ナポレオン法典の改定は1938〜65頃か?>を認められてなかったし・婦人参政権<フェニミズム発祥の英国でも1928 フランスでも1944に実現>も未だ認められてなかった。
まさしく時代背景のヨーロッパは、女性不在・男だけの社会であったし・自然科学の研究職は女にとって更なる狭き門であった。
にもかかわらず 後にキュリーは、母校ソルボンヌ大学で女性初の正教授となった。
まだある。1903ノーヴェル賞を女が受賞したことで、その存在が一挙に有名になり。
世界最高級の人的貢献を顕彰する私人の寄付行為として、世界中にその存在が知られることとなった。
暗闇発光現象であるウランガラスの謎が解明されたのは、もう少し後,ラザフォードなどの業績が発表されてからである。
しかし、人類の留まることを知らない未知の領域への飽くなき踏込みが、最悪の事態を招き寄せた。しかし、紙数も尽きたので多く踏込まない。
ここでは、第2次大戦中US大統領に発した原子爆弾開発に関するアインシュタイン見解開陳文書とそれを受けて着手されたマンハッタン計画=タイトルのみを掲げておく。
人類は、地表に太陽=『パンドラの箱』を造り上げて、生物絶滅を招き寄せた。
何たる愚行であろうか?
科学は、いつ・いかなる状況でも「部分知」でしかないのに。早く・深く踏込み過ぎる。
近未来を予知し・懸念しようとしない突進アホが、新しいものにただのめり込んだ。
人類は、拙速・猪突の科学からいつ脱け出すのであろうか?