おもう川の記 No.16 大川・概観1

未だに大河・阿賀野川水系の川面を眺めている。
今日から上流・本流の阿賀川である。
既に書いたことだが、阿賀野川の名称は、日本海河口から遡り・新潟県境まで。そこを超えて福島県内に入ると、その名を阿賀川と変える。
阿賀野川は、列島上位10位以内のランクに入る大河で。平均流量=毎秒451立方メートルは、列島トップクラスの豊富な水量だが。その多くは、福島県内の会津地方が豪雪地帯であることに帰する。
これもごく知られたことだが、念のため記しておく。
まず、会津地方は、いわゆる太平洋側にある福島県に属しながら。会津地域の気候分類は、日本海側気候帯に属している。
次に、阿賀野川阿賀川の河川名称変更点=新潟・福島県の境界水域だが。その越境部は、日本列島脊梁山脈ではない。
列島脊梁山脈は、福島県内を通過しており。その高地線の東側が福島県中通り、反対の西側を会津と呼んでいる。
以上のことは、列島でも他に例を見ない・地域区分上異例だが。
一説に明治政変において佐幕派の中心を形成した会津松平家に対して、新政府が行った=苛め措置の結果であるとする説が唱えられている。
さて、福島県域に入ってからの阿賀川だが、最初に合流する川が只見川である。
新潟・福島・群馬の3県境界付近に立地する尾瀬を水源とする只見川については、既に前稿までに触れた。
更に上流に遡ろう。
東から西に向かって下る流れに対して、南の方から合流して来るように見える川がある=実は、こっちが本流の阿賀川である。
もう一方の支流に当る川は、日橋川。こっちの支流の方が流路を変えず・本流である阿賀川の方がその流路を北から<=合流点の上流部>西へ<=合流より下>と変えてしまう。
さて阿賀川だが、会津盆地のほぼ中心を流れる。
会津地政学的中心は、言わずと知れた会津若松市である。
若松市は、この地域におけるほぼ不動の中心都市であり、戦国時代以降重きを置かれた背景の1つとして会津の地における金の産出を挙げられる。
一時期あの伊達正宗が統治者として君臨したが、小田原征伐後に秀吉が行った奥州仕置により。伊勢松坂23万石蒲生氏郷が42万石<後に検地&加増をもって92万石>を以て入封。
この時に、旧名の黒川を若松に改名したのが氏郷とされる。
会津の人々は、親しみをこめて阿賀川を「大川」と呼ぶ。
親しみとは、如何にも文学的な表現だが。
ここでは、2つのことを述べることで、その曖昧さを打消したい。
筆者は会津人でないので、その深い心情を逆なですることの無いように願うばかりである。
まずは、阿賀川=「大川」が、洪水を多発させる暴れ川であること。
阿賀川は、いわゆる扇状地河川。会津盆地を含む流域地形は、概ね南が高地・北に向かって低地となる。
列島には自然を神格とみなす風潮がある。そして、人為をもって神を宥めうるとする考え方もある。この併存が、虞れと親しみを近づける回路であるかもしれない。
この考えは、元寇以来不動の信念と化している。
元寇において、列島側は初侵攻・再来襲の2度とも敗勢であった・しかもほとんど無策・無為であったが・最大の国難は朝になったら・なんと強敵が自然消滅していた。
神州は、侵襲に遭っても。神頼みでもって、全面解決できる。
信ずるものが救われるから神州・神国なのだろうか?
自然災害は、いつの時代でもそうだが。あまりにスケールが大き過ぎて、人の智慧やワザで制御できるものではない。
かつて、会津に山崎湖なる堰止湖があった。
慶長16(1611)年8月に起った会津地震が、もたらした災難の1つである。
推定マグニチュード7・震源地は柳津町滝谷付近とされるが、城下を中心に2万戸が倒壊し・被災死者3,700名に達し、山崩れが23村を水没させ・堰止湖として山崎湖が形成された。
時の会津藩は、ただちに土砂排除に着手した。
被災時の藩主は、秀吉の死後・関ヶ原戦後に再びこの地に舞い戻った蒲生氏(入封初代氏郷の嫡男)の秀行であった。
しかし、蒲生氏は3代をもって嗣子無く改易となり・次に入封した加藤家(1627〜43 会津騒動・藩内悪政から所領返上し改易処分)も過ぎ・保科正之の時代になってやっと土砂排除が完了して山崎湖は消滅した。
第2は、阿賀川=「大川」が、日本海会津とを直接繋ぐ水運回路であること。
情報入手や物資の流通において、沿海に位置する諸藩と事実上較差が無かった。
このことは、電信・電話&コンピュータ+ネット網の現代では、殆どその意味が忘れられている。がしかし、人力が全てであった江戸時代において、その意味はとても大きかった。
阿賀川の基礎データを述べて擱筆する。
流域面積は3,260平方km  流路延長123km 水源は、荒海山<あらかいさん 標高1,581m>
荒海山だが、福島・栃木の県境に位置する帝釈山系に列する。
その名は、南会津郡南会津町の呼び名にして、阿賀川と只見川の支川である伊南川の源流域に当る。
同じ山を栃木県日光市では、太郎岳と言い・鬼怒川の源流域をなしている。