おもう川の記 No.15 只見川・概観3

阿賀野川の支流を未だウロウロしている。今日は第7節うちその上流・只見川を語る続々節である。
前稿で、只見川なる川の名前は、辰巳に由来するのではないかと。極めて牽強付会なる自説を展開したが、未だに意を尽くせてない気がするので、少し補足しておきたい。
まず、音韻的に  ただみ
  と      たつみ
  の関係である。
日本語の表記法で、音声・音韻を示すことは相当に難しいことらしい。
と言いながら、筆者は音韻学を正式に学んだことはないので、音韻表記法を知らない。
筆者の乏しい知識からすると、隣国のハングルが相応しいのだが。列島における普及度と理解度にネックがあって使えない。
因みにハングルだが、1446年李氏朝鮮第4代国王世宗が公布した・人口的につくられた文字であり。人体の発声器を研究し・記号表記に反映させ。周辺各国が当時使用していた文献を取寄せ・その文字と発音の関係を解明したり。高度に科学的合理性を追求した音韻記号であったようである。
世界遺産に登録されたし・世界各国の無文字国・地域に導入されてきた背景は、その辺にあるものと考えられる。
いささか脱線したが、ここでは母音と子音とを区分表記することのできるアルファベットを代用する。
こっちの方であれば、列島における普及度と理解度ともにネックはない。
     TA DA MI
TA TSU MI  ヘボン式の方がより原音に近い表記法であろう
ここで、日本語の慣用的発声について断わりをしておく。
第1声と第2声が同音の場合は、第2声の音が変化することだが、必ずそうなるわけではない。 
    畳 =   たたみ   TA TA MI
只見川 =  ただみがわ TA DA MI GA WA と発声し。
          たたみかわ TA TA MI KA WA と発声する人は少ない。
    笹川流れ  ささがわながれ  SA SA GA WA NA GA RE と聞こえる。
          さざかわながれ  SA ZA KA WA NA GA RE は聞かない。
序でにもう1つお断りしておきたい。濁音表記と音韻との関係である。
    た・さ音の濁点が、だ・ざ音と説明する言い方があるが、
    相互に音韻上の関係は無いものと考えたい。
    つまり、TA & SA行音と DA 行音 & ZA行音との間に
    それぞれ他の音以上の密接な相互の音韻関係を認めるべきでない。
実は未だある。
方言における音声の変化である。
これも例を挙げる。
盛岡にある名城、その名を「こずかた の 城」と聞くが、咄嗟に意味を穫れなかった。
その後数年、知合いの・彼の地出身の方々に尋ねるも、腑に落ちる解を得られなかった。
『来し方・行く末』=「こじかた・ゆぐすえ」と聞いていれば、もっと早く正解に達していたかもしれない。
とまあ、只見と辰巳の間も、そんな関係であろうかと想いを致した次第である。
さて、もう紙数は残り少ない。
辰巳なる表記は、十二支=方位の表記に偏った文字であるが、漢字としては”巽”と表示すべきである。
更に、かなり釈迦に説法の老爺心的言い回しだが、
    辰は、龍であり
    巳は、蛇である
ともに列島では、水の象徴であり・水の神である。
川の上流・源流地帯には、そのような目に見えない存在・とりわけ農業者にとって信仰の対象なるものがあってよいのではないだろうか。
川と水の関係は、あらためて言うほどのことは無いが。列島の成立ちと農業の関係を考えた場合、決まり文句であり一応触れておく必要がある。
それは、棚田も含めた列島の景観のことである。
水田による水稲栽培が、特異にかつ過度に進化したことによる・どこまでも水平であることに捕われた地形のありようである。
本来自然にある地形・地理は、弓なりであったり・凸凹であったりする。
しかし、列島において、そのような自然地形を見るのは、遠くの山くらいであると極論したい。
多くの日本人は水が満々と張られた水田を見て、自然であると信じて疑わない。そんな鈍なバイアス視力の持ち主になってしまっているらしい。
それくらい、作られた景観に対して日本人は、無頓着である。
世界に目を転じると、水田に拠らないイネ=陸稲を栽培する地域もまたある。食糧自給率を挙げるためには、そのような工夫も考えるべきかもしれない。
集団的自衛に踏み出すかどうかは別として、エネルギーや食糧の自給率を100%超に引上げておかないことには、どことも争うことは出来ないはずである。
最後に水の信仰について、理解が難しくとも、感じてみたいと考えている