おもう川の記 No.14 只見川・概観2

今日も阿賀野川の続編=第6節<そのうちの上流・支流=只見川の続稿>である。
支流に関する記述が、続編に及ぶことは珍しいことである。
筆者の詰らないクセに付合う読者の気苦労については、この際考えないことに致したい。
平凡社・歴史地名辞典・福島版47頁にある只見川の記事をみていたら、
  〔 地名の起源など 〕 ・・・ 下記は冒頭からの引用です
   川名について、昔弘法大師がこの川筋を歩いて下流から上流へと向かったが、
   寺を建てるよい場所が見当たらず、伊北(現南郷村など)から再び下流に戻り、
   柳津に来て虚空蔵堂を建てた。
   そこで今まで歩いた上流地区は「ただ見た」だけなので只見川と名付けたという。
   またこの流域の人々が灌漑用水にも役立たないところから「ただ見て通る」ので
   只見と名付けたともいわれる。・・・<以下略>
との記事を発見した。
   筆者による注 ・・・ 伊北=いほう(地名)。1889南会津郡の8村をもって成立、
1952只見村と改称し1959から只見町へ。よって、南郷村→現
              南会津町に同名の地域があるかどうかは不知である
   筆者による注 ・・・ 虚空蔵堂とは、現在の河沼郡柳津町にある円蔵寺(臨済宗妙心              寺派)である。創建事情不明ながら空海作とされる仏像がある
以下は筆者特有の独断と偏見による余談(今日はのっけから駄足話)である。
まずは、悪口から 全く”落語の落ちにもならない”マズさである。
上掲の引用記事は、おそらく「只見」の字面からデッチ挙げられたデタラメ話であろうか?
実に寒い、極寒の極みである。氷の女王が演ずる牡丹灯籠の比ではなく酷い。
とまあいちゃもんを付けて、この稿終りとしたいが、・・そうも行かないであろう。
大袈裟に言えば、地名研究ワールドらしい地名由来を以て決着させればよいのである。
しかし、この領域の研究は、ワードによる簡便な索引が出来ないことが課題である。
でも探してみた。どんぴしゃりは勿論無い。そこで、以下のようにダッチロールを試みる。
地名アイヌ語小辞典なる本がある。
著者は、知る人ぞ知る知里真志保(ちりましほ1909〜61アイヌ酋長の二男として生まれる。金田一京助と出逢い東京帝大・文学部言語学科に進む。博士課程修了、後に北海道大学教授 アイヌ諸地域方言・アイヌ語地名の研究)である。
因みに小学館版百科全書の知里の項目は上掲小辞典の刊行に協力した山田秀三(やまだひでぞう・1909〜61 地名研究)が担当している。
上掲小辞典は、北海道・樺太の地に取材・語彙採集して編纂されたものだから。本稿の対象たる本州の東北・中部地域に適用することに、いささかならぬ困難があるかもしれない。
他方において、本州全域に及ぼして問題ないとする立場・見解もまたある。
筆者が、独断と偏見をもって上掲小辞典を検索・考証したところ。
いわゆる「タダミ」の音に近いものを見いだすことは出来なかった。
ここらで、一挙に本稿のまとめゾーンに踏込もう。
音を以て、当てられたであろう文字=只見から。その意味を読み取ってはいけない。
あくまでも「タダミ」の音から、その因って来る意味を演繹するべきである。
この場合も地名アイヌ語小辞典が使用する音の索引見出語に倣い、
「タダミ」を  t ・ s ・ d ・ z ・ m ・ n などの音素に分解する。
それぞれの音は、類縁関係または通音関係になりやすいものと措定したが。
措定の背景について、格別の根拠を示せないからこれ以上踏込まない。
上記の要素を以て、意味ある単語の再構成をあれこれ試みた。
そこで、何らかの意味に繋がる単語が見つかった・・・「タツミ」である。
タツミ」 → 意味を示す文字体にすれば、辰巳=方位表示語で、南東となる。
ある地点=未解明の地に立って、南東の方向<=辰巳>にある川だから。その名を「タツミ川」と呼んだが、発声する方か?聴取る方か?のいずれかが。訛りに基づいて聴取り・文字を当てたのであろうか?
そのようにして「タダミ川」に転じたであろう。と云うのが、筆者の牽強付会である。
では、川の名を結果として決めることになった「タツミ川」と呼んだ者は、誰で?何時?の事だったろうか?
ヒントになる記事が、上掲の歴史地名辞典・福島版47頁の末尾にあった。
近世初期は、「赤の川」と記されていたとある。
その記事を踏まえれば、「タツミ川」=只見川の呼び名が成立したのは近世初期=江戸時代以降のこととなろう。
何時?を固めたから、誰か?の絞り込みは、比較的容易い。
南東の逆方位=北西方向に位置する土地に大名の本拠地があればよいことになる。
まず 只見川の中核地域をどこに置くか?を決める必要がある。
次に その中核地域から見て北西方向に城があればよい。
最後に その城の主が只見川流域を支配する領主であるか・さもなくば間接利害を持つ立場にある領主であればよい。
結論を急ごう
只見川に関連ある城と云えば、春日山城<現上越市>・長岡城・新潟の3地区が挙げられる。
3つ目の新潟には厳密なる城はない。しかし、只見川の末流・本流たる河口に当る地であり、しかも新潟を支配する領主は長岡藩主の堀氏(1616〜18)および牧野家(1618〜1870)である。何と好都合であろうか?
2つ目の長岡藩庁を基点にして南東方位となれば、只見川流域でも最上流=源流域になる。若干苦しい感じあるが、妥当性は高い。
1つ目の春日山城は、地理的に遠過ぎ・川の流域との関係が極端に薄れる。
以上をもって、只見川の名は、「タツミ=辰巳」に由来ありとする筆者の牽強付会論読み終りとする