か麗の島 No.14

昨年の秋に行った台湾旅行の記録である。
1週間ちょっとの短い駆け足旅のうちに、3ヵ所4つの温泉に入った。
今日は、誰もが知る北投<ペイトウ>温泉・入浴記である。
ここでは1つの地域内にある2タイプの湯に漬かった。
それぞれ日を分けた日帰り風呂探訪、
同じ宿から地下鉄に乗って、同じ駅で降りてはいるが・・・・
気分としては、全く別の温泉を訪ねたような記憶が強い。
駅を出てすぐの位置にある信号機の点いた交差点を渡った時から、もう別の経路を通ったせいもあって、気分としては1ヵ所でも2度おいしい?風呂遊びであった。
何ともゴージャスな錯覚に捕われた豪華な思い出である。
混浴と云うのも、何となく心引立つ華やぎがある。
少し急な山道を登りながら、少しも苦にならない。
爺さんとしては、30年もの昔を振返っても・・・・実は語るべきロマンスは何も無いのだが。
過去は過去として、未来は何があるか?少しも先のことは読めないではないか・・・・
その予測困難さに、人世50年が3割増のボリュウムで過ぎ去っても。図太く生きていられる理由がある。とまあ、そうしておこう。
車道の向こうは少し小高い丘で、公園になっているらしい。
何となく車の数も多く、家族連れが目立つ。
どうも今日は休日らしい感じがある。
やがて車道の反対側=つまり歩道の右手だが、丘の中腹が低くなだらかに下の川に向かって、スロープを作っている。
やがて、瓦を載せたような・武家屋敷風情の築地塀が出て来た。
その塀に沿って、多くの人が列をなしている。
温泉に入るために、順番待ちをしている民衆の行列である。とアトで判った。
一端入口まで行って、そこから舞い戻って。最後列に並んだ。
訪問日が休日と重なったのは、運が悪いが。日頃さほど効率を考えて暮らしていない。
この日は他に何もすることが無かったから、迷わず列についた。
混浴に対する、いささか不純な動機が、躊躇すること無く並ぶと言う決断を招いてないとは言えない。
コトバが出来ないから、待ち時間がどれくらいになるかを知る術もまたない。
映画や演劇なら開場・開演があって、予測可能だが。
入浴に至っては、時間制限ルールは無い。?否・入浴中は時間を忘れてのんびり過ごす=風呂に入る狙いはそれなのだから・・・・時計を忘れよう。
あちゃあしたまま入っているヒトがいるぞ。
ヒトはさまざま。百人百様。それもよかろう
別に他人との関係で、風呂に入るんじゃない。
ひたすら風呂は快適を尽せ、温泉は究極の理想環境にしよう。
やがて、入口に達した。金を払って、中に入った。
入口は地勢的に最も高い場所だ。そこから湯船のある下界は、一望のもとに見下ろせる。
土地の起伏に合わせて、大きな湯船が3つ=高い・低い・その中間と並んでいた。
この国の高い人口密度に反して、湯船の中の男女は、多からず・少なからずであった。
そうだ。紛れなく混浴である。
着浴ではあるが、裸浴方式でない=やっぱり ホッとした。
みるものはみられる・・・・この世の関係はそんな緊張を強いる
なんせ始めて来た、3つの湯船を全部試した。
湯船の高低と湯温の高・中・低が、一致している。
風呂ではガツガツしたくない、チェック&テイスティングを何度かゆっくり確かめた。
吾が同年齢の入浴者は、さすがに少なかった。
つまり白髪系は、ほぼ見かけなかった。
そのせいか?おそらくそのせいであろうが、若い娘に3度も声をかけられた。
もちろん、別々に3人の娘からである。
長い生涯を振返って、そんなことは記憶にない。
奇跡だよな。
それともホワイト・ヘッド=白頭鷲は、人畜無害の象徴なのであろうか?
ほぼこの15年人畜無害の枯れた老境にあるのは事実ではあるが・・・・
ゆっくり考えてみれば、奇跡とも言いがたかった。
奇妙なことに、話題は共通だった。同じ質問を3人から、それぞれにされたのであった。
「日本人か?」  「そうだ」
「どこからか?」   「カナザワ」
首を傾げるか。さもなくば、納得したような演技をして立去る。
3度も繰返した。壊れたテープ・プレイヤーか?
これは、後日知ったことだが。
陸中国人は誰彼となく「どこから来たか?」を尋ねるクセがあるらしい。
北投・台北は、大陸ではないが。似たようなものであろうか?
当方には、本省人外省人の別を見分ける力も備わらないが・・・
かつて、北米を旅したときも、似た体験をした。
国が広いことがもたらす?国民性的性向なのであろうか?
たいして広くない列島人が、同胞に対して。同じことを試したら,果してどうなることだろうか?
以上でもって、今日の紙数はもう尽きた。
もうひとつだけ、北投温泉の思い出を書きたい。
それは湯守のことである。水着でない男が、2〜3人湯船の外に居た。
監視人らしい。
誰彼無く、指摘し。行動の是正を求める。口うるさい、困った存在だ。
彼らが禁止しているであろうことは、3つしかないようだった。
1、 湯船の出入り口付近に佇む勿れ
2、 湯船の縁に座って、湯船の中に足を漬けるんじゃない
3、 手を使って身体をさすったり・こすったりするなよ
これには実に困った。
1&2は、よしとして。
3は、筆者がほぼ日常気にしない=おそらく当たり前のようにしているに違いない。
長い人生で、家人から時々宣言された。
苦情申し立てあれば、こちらに対抗策あり。
終い風呂に入ることで解決した。
消極法の解決策で凌いだ。よってクセは身についている。
結局余談か・駄足の内容になってしまったが、
風呂くらいは、すべてを忘れて、ひたすら天下太平と悠々たる気分で浸りたいものだ。
他人のことに、動ずること無く堂々介入する役所体質に辟易する。
辟易しない・草臥れなくてよい国を見いだして・そこに移住したい 
それが、吾が旅のひとつの目的でもある