か麗の島 No.12

前稿でニイタカヤマのことに触れた。
繰返しだが、現在の玉山<ユイシャン>のことだ。
かつて日本の植民地時代(1895〜1945)にそう呼んでいて、日本領土内の最高峰であった。
更なる繰返しだが、台湾最高峰であるにもかかわらず。その高さが未だ定まらないもどかしさがある。
一応調べた、各種のデータがあった。
3,950〜3,997mとバラエティーに富み、1つに絞り込めない。
データごとの根拠があり、捨てがたい・味わい深いものがある。
そこから出るご来光を仰ぐために、阿里山に1泊した。
そのような経緯から、今日は阿里山について触れる。
型どおりに概要を述べると、台湾行政府が管理する国定の総面積32.7haの山岳公園である。
植民地時代の1934年、日本国内法に基づき国立公園に指定されたことが始まりらしい。
因みに,その時の名称を「新高阿里山国立公園」と云う。
名前のとおり、玉山&阿里山一帯の双峰群山を含んでいたようだ。
植民地時代をそのまま引継いでいると誤解されないよう、下に明示しておく。
 〔現在の指定名称〕
  ○ 玉山<ユイシャン>  = 国家公園
  ○ 阿里山<アリシャン> = 国家風景区
但し、地図の語句をそのまま引写しただけ。
もちろん残念だが読めない・語句の差異が実態にどうリンクするか不明であるを、悪しからず
お許し願いたい。
さて、筆者の訪問印象だが、1泊2日のカミカゼ滞在だから、格別の掘起しもまた無い。
だからと言って、その辺の刊行物の引写しもまた避けたい。
よって、例によって、いささか型破りの暴言的印象記となる非礼をお許し頂きたい。
熱帯・亜熱帯・温帯の植生を持ちつつ、概ね標高2千メートルの高山帯にある、特異な生態系を維持することは素人目にも判った。
筆者は、麓の嘉義市から往復とも路線バスに便乗して入山した。
本音を言えば、登山鉄道が有名であり、少年時代から名前だけは知っていたのだが・・・・
ある事情から希望は消され・バス利用に落着いた。
公園内で最も多くの旅客を留まらせる位置は、「三代木」である。
倒木更新が、親・子・孫と三世代に及んでいる例を始めて観察した。
親木とは最下層にある倒木=朽ち果てつつある古木のこと
子の木は、親木を礎にして・台地の上でなく親木の上に成長した第2世代の木である。しかし、その子の木もまた腐朽化が進行しつつある第2の古木である。
孫の木は、孫亀のごとく親亀と子亀とを重ねた最上位にあって、現在成長中の若い木である。
薄暗い高山の高木樹林の中、そこだけは晴れ着にポーズの中年カップルが屯するカメラポイントになっていた。
さて、倒木更新と云えば、世界遺産屋久島・縄文杉が有名である。
以下は筆者の素人考えでしかないが、倒木更新となりやすい条件を考察した。
別の言い方をすれば、倒木更新が残る事情でもあるが・・・
第1は、針葉樹にして大木になりやすいもの・・・エゾマツ・とど松・ブナ・檜・杉など
第2は、深山幽谷に阻まれて、ヒトが容易にアクセスしにくい奥地にある
第3は、奥地にして、しかも地盤が不整形、巌状地に立地する樹林帯
まあ3つあれば十分であろう
簡略化して言えば、
ヒトが見つけにくい場所だから、結果 大木になってから発見される。
大木は希少であるから価値あるが、切出して・運び出すことが非常に困難。
特殊な用途材として伐採・運送されても、地盤が巌・凸凹であるから。植林など再生産のための林業活動が阻まれる。
その結果、一度切出したら樹林帯そのものが半永久的喪失状態になる。そんな悪条件の地だ。
阿里山は、そんな山なのである。
回遊式に整備された木道・木橋の散歩コースを、表示板を覗きながら半日散策した。
樹齢1千年を越える大木を数十本みたが、多くタイワンヒノキ<現地表示は紅檜>なる名の大木である。
湿気のこもった谷に向かう斜めの大地ばかり、そこに平たい土地は全く見当たらない。
しかも、大樹の根っこは1つの例外もなく、タタミより大きい岩を抱え込んで、そこに厳然と立っている。
仮に指定を無視して伐木しても。
その巨岩だらけの跡地に、ヒトが植林して成功する可能性は殆ど無い。
倒木更新なる自然のメカニズムこそが、人知を越えた理想の再生産の仕組なのであろう
以上をもって本日の紙数は尽きた。
余談を2〜3述べるのみである。
日本最初のそしておそらく想定外の戦勝獲得物として渡された台湾植民地は、見果てぬ苦労の始まりであった。に違いない。
治安上の課題である山岳民の反乱が、相次ぎ。段階的に設置していった現地警察官駐在署が襲われることが再々であった。
そしておそらく阿里山地区が最後に平定が成った最強山岳民の居住拠点であったろう
記録等によれば、阿里山地区の林業産業化を探る専門調査が始まったのは、1904年だが。国立公園としての指定は30年後であるから、治安問題解決なり・開発計画立案なりに手間取ったであろう。
スイスの山岳観光を成功例と措定すれば、鉄道の敷設が即ち観光開発の要とも言えそうだ。
しかし、鉄道は政府予算獲得上の表向きの便法に過ぎず・伐木大樹の搬送から必要=それが真相だったに違いない。
戦前・戦後を通じて、日本の寺院建築などスケールの大きな再建工事や大木を必要とする塔の再建などの多くが阿里山産木に依存したとする説がある。