か麗のしま No.11

1月から始めた60歳代半ば過ぎのオッサン?のそれも初めての台湾旅に関する簡単レポートだが、連載から遂に2桁に達して未だ?どうにか続いている。
さても台湾、されど台湾だが。約2千万の人口を抱える主権存在である。
最近のメディア報道によれば、若者が日本の国会に当たる立法院を占拠した。
事件の背景に大陸との交際をめぐる軋轢など、人類史の深層から派生した複雑な事情を抱えるらしい。
ここではそんな込み行った課題を採上げないし・採上げるだけの技量もまた備えない。
単に『か麗の島』の実在を疑わない。
しかし、仮に国なのかどうか?と,質問されると。格別に答を用意してない。
答が無いことについて、恥じ入る気もまたない。
もし役所に属し・公務出張でもって滞在する立場だったら、何らかの回答なり・見識の表明は必要だろうが?
幸いに?在野の一市民であるから、そんなことはどうでもよい位置づけだ。
さて、台湾国の名乗りはどうか?
それはパスポートの入出国・印を見れば、判ることだろうが・・・・
かつて、レッド・チャイナが、国連加盟を果たした際(1971年10月)。
いわゆる国名と領土の問題で、台湾が国連から身を引いたことがあった。
そんな些細な・タテマエ的・課題をクリアーできない国連や国際政治は貧困である。
限界を抱え躓く現代の未成熟を憂うるばかりである。
たかが国連 小さい、小さい
とまあ片付けてしまう筆者の受止めは、非常識=大きい誤解としておこう。
役所や役人は、枝葉末節の拘り=入口論に躓いて、実在する主権存在を排除する現実がある。
再度言おう。台湾を容認する点において揺らぎは無い。”国”とよぶのが不都合であれば、”地域=NIES&NICS”とすればよい。
とまあ、中国大陸の周辺は、西欧(=含むニッポン)帝国の横暴により植民地として浸食された「人類史の負の経歴を抱えている」だけに、何かとややこしい。
因みに、台湾島の陸地面積<36千平方キロ弱>は、日本列島の陸地面積のほぼ1割に相当する。それが狭いか・広いかは、一概に決められないが、、、、
自転車をもって基幹交通手段とするには適度な規模である。
地理的に・地形も、主島一塊である。
自転車と言うと、この高速移動時代に反した時代錯誤の逆転思考と云われそうだが・・・
自然エネルギーへの回帰が喧伝される原発人災以後の21世紀において、右肩上がりを良しとする単線イールド価値観から脱け出す展開として。既成概念に捕われない柔軟な思考として、必要にして求められる「見直し時代のブレーク・スルー」ではないだろうか?
今度の旅で、阿里山に1泊した。玉山<ユイシャン>のご来光を仰いだ。
この山は台湾島最高峰だが、資料ごとに高さのデータが異なり。確定できなかった
  1、 3,950m・・・・手持ちの百科事典による
  2、 3,952m・・・・ブリタニカにある公式データ記載
  3、 3,978 or 3,997 m・・・衛星観測によるデータ
これ以外まだあるかもしれないが、3つも掲げればもう十分な感ある?
閑話休題 
筆者を凌ぐ高年齢層の人々が記憶する標高は、1データ=”富士山より高いぞ”である。
日本統治時代(1895〜1945の51年間)、本土列島・韓半島・台湾・樺太・千島の中で、最も高いニッポンの最高峰であった。
その名も”ニイタカヤマ”と呼ばれていた。
ニイタカヤマノボレ」なる暗号電文は、真珠湾に向かう海軍機動艦隊に対する攻撃命令であった。
第2次世界大戦のうちの太平洋戦線は、この奇襲を以て始められたが。
銃後の準備も・経済遂行力の検証も無いまま・無謀なる思いつきで・交戦国と戦闘圏域の拡大を図る・戦略的に杜撰な構想であった。
杜撰な構想でもって全体をリードする仕組は、クロブネ・ショック(1853年7月)に始まり、関東大震災で(1923年9月)更に拍車がかかった。
国のありようや地政学的本質や固有の文化事情を考慮せず、西欧流儀への模倣を拙速に押し進めるべく大きく舵をきった明治政変が、無条件降伏なる大敗戦(1945年9月=ミズーリ艦上協定)を招いた。
大航海時代に始まる西欧の帝国・植民地政策への安易な追随は、即ち台湾などアジアに対する冒涜であり・人道に反する不道徳行為でもあった。
アジア地域住民1千万人超の人命喪失をもって実現した尊い聖典=第9条の平和憲法がある。
真っ当な世界観に沿う思想であり・正しい人類愛へと向かう日本国民の心情に沿うシンボル憲章である。
そのことを”アベクンに”どうやって判らせるか?それが当面の課題である。