おもう川の記 その8 荒川と渡来の民

心はとうに山の向こうにある大河=最上川にあるのだが、目の前の流れは今日も未だ荒川である。
続編=荒川第6節に当たる。
今日は川の名の成り立ちを考える。
まずコトバに関する愚策口舌=釈迦に説法そのものだが=を披露することから始めよう。
いわゆる言語だが、それはまず、耳と口から始まった。
そしてその後に、手と筆と紙の活躍する時代がやって来た。
耳と口の意味するところは、言語とは何よりもまず「音」なのだと言う。ごく当たり前のことを指している。
手と筆と紙の時代とは、言語誕生の後に”文字が出現した”ことを象徴している。
この当然たる時系列順は、時により・人により忘れられがちである。
更に許されないことだが、文字を言語の外に=つまり独立した存在の高みに置こうと考える人に出逢うことすらある。
言語と文字の・その当たり前の相互密接・出現の前後関係を無視してはならない。
その原則が踏みにじられやすいので、つい多言をしてしまった。そのことが悔やまれる。
前置はさておき 「あらかわ」の音から、その意味を引出すことは極めて難しい。
文字化された『荒川』は、歴史時代において何らかの事情で「当てられた字」と考える。
筆者の乏しい知見では、表音文字表意文字とを並行処理する言語環境は、唯一日本語だけだと想っている。
よって、この国には表音語から表意語の併用へと移った過程や文字を導入し初めた頃の記憶を復元する手がかりがある。
それは言語学的に特異な事象であると考えられるが、それを筆者ごときが指摘してもさしたることはない。
筆者は専門知識を持合せないから勝手な夢想だが、、、、以下は古代歌謡や古代地名に限定して論ずる。
「歌」と「地名」を文字化した経緯を残す史料として万葉集記紀歌謡や風土記などがある。
上掲の文字化された記録から、表意語併用への移行事情や文字導入時の揺らぎを伺うことができる。
古代の歌・歌謡に関しては、枕詞なるものが存在する。
主核に当たるコトバとそれに付随する枕詞との間の関係が、もう判らなくなってしまっているものがある。
地名もまた、同字異音・異字同音の地名がある場合は、何故そうなったのか? 両者の関係をどう考えるのか?
かつて存在した石川県・石川郡・石川村なる広・狭の差が著しいケースなどに関する疑問である。
これも地名だが、微妙に似通った地名が複数存在する=字名とバス停クラスの狭い地域の表示文字とが異なる例
史料文献上の音・字と現世に伝わる伝承上のそれとがズレるまたは部分的に重なるケースにおいて、集録された当時の形成過程を、ある確度をもって窺い知ろうとする作業である。
さて、「あらかわ」なる音に荒川なる文字を引当てる過程(個別事例における形成事情)を想定してみよう。
「あらかわ」の川は普通名詞。「あら」が固有名詞と措定した。
第1 「あら」なる音に近い文字を当てるケース
第2 「あら」なる音が示す意味と共通する文字を当てるケース
第3 「あら」なる音と意味との=つまり双方の共通性を満たす文字を探して・当てるケース
第4 上掲1〜3のいずれとも異なる表記を採用したケース
ただし、この4例が全てではない。上掲外のケースが当然に考えられる。
いささか余談だが、ニューヨークの湾口に立つ自由の女神(映像)を見るたびに思い出すことがある。
移民者の氏名は、上陸時の移民官が聴取り・アルファベットで記録された。
USAに戸籍はないが、多民族の合州<衆でない字を当ててます>国である。
英国系出自以外の白人氏名に、特に発音と表記との違いが激しい。
おそらくその原因は、移民官の聞分けまたは書分け能力の差によるであろう。
それと同じことが、列島の地名にも当てはまる。
古代の筆記者は、その殆どが外国人つまり文字に長けた渡来人その人か・その末裔であったろう。
表意語や文字が伝来した当時、土着の日本人は十分に使いこなすだけの力量を備えなかったであろう。
上掲4例の適用は、当時筆記の任に当たった渡来人に備わる個性の緻密さまたは杜撰さに比例したと推定する。
音を耳にしただけでさっさと書き上げてしまう=仕事の速い才人に始まって、
発声者に対していろいろ質問し、日本語の意味まで聴取ってから。
第2(音を捨て)で留めた即決の人・第3(音も意味も活かすべく)段階まで熟慮・慎重な仕事をした粋人などなど。
最後第4のケースは、耳で聞いた音が、自己の経験と重なるか・似ていることを以て表記を決定した=これも想定例にすぎないが=列島の成立ちを考えれば、最もあり得たケースであったのではないだろうか?
では、本稿の『荒川』をどれに当てようか?
筆者は、第4であるとしたい。
これも筆者のオリジナルではない=大抵のことに先駆はある。
岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」なる著作によれば、<荒川がズバリそうだとは書いてない>
”アラ”に連なる地名が多く出現する。
抜書きしよう
○ 滋賀県草津市穴村に安羅神社<今はヤスラと詠むとある>
○ 金属技術・渡来系の”天日槍”に関して日本書紀に出現する地名=吾名邑(あなのむら)・・・比定地が、坂田郡阿那郷&蒲生郡竜王町
○ 栗東町に小安羅神社・・・なお、筆者の体験=山形県酒田市内に「こあら交差点」がある
○ 島根県安来市荒島町に揖夜<イヤ>神社(式内社)の摂社・荒神
○ 奈良県・大和盆地・三輪神社の北に穴師坐兵主<アナシニマスヒョウズ>神社(式内社)&その付近に穴師川&近くに荒神
○ 全国各地に”荒木”なる地名・人名が散在する・・・荒川また同じ
”アラ”の音は岡谷氏によれば、韓半島にかつて存在した新羅国に編入された加羅伽耶とも書く)国の中にあった安羅国に由来すると言う。
筆者の独断と偏見により、2〜3補記しておこう。
まずアラとアナの通音関係だが、
   R音とN音とはたやすく行き来する音韻である。
   このことは韓国語においてよく当てはまるようだ。
   因みに「穴』とは、鉱山業の坑道を指すコトバでもある。
   金属の仕事は、鉱山の枯渇に備え・良質鉱山=金属原料含有率がより高い=を求めて常に山中を徘徊するらしい。
   探鉱の仕事は、即ち修験道のテリトリーと重なる。
次に、安羅なる音に相当する地名は、現在の韓国には存在しないようである。
   古代の新羅百済は、韓半島の南部に立地した。
   加羅国・安羅国は、新羅百済の境界付近に位置し、特産物が金属製品であった。
   韓半島南部は,古代の倭人と韓人の混住地域であった。
   列島に最も早い時期に渡来または往来した国・地域は、金官伽耶とする伝承・説話がある
   安羅の地は、私見では金官伽耶と重なるか?ごく近い位置にあると考える。
もうここまでくれば、荒川の由来についての論証は、尽きている。
先の稿で、杣人の妻が大蛇に変じた民間伝承を紹介したが、そもそも杣人の仕事は、製鉄用の薪や木炭を作ることにあった。
新潟県荒川の地は、韓半島の東アジア地中海における対岸の地に当たる。
その荒川流域には、金属探鉱・金属精錬・修験道のいずれにも該当の痕跡がある。