か麗の島 No.7

年明けから書き始めたこのシリーズだが、今日で3ヵ月目に入った。
昨年10月に約10日ほど滞在しただけの、ごく短い台湾訪問であった。
海外へ出るようになって35年以上経つ。既に訪問した国・地域の累計数は、直近の台湾が29番目だからごく少ない。
旅のスタイルは、ワンパターン・極めて恥ずかしい限りである。
どこへ行っても言葉の壁が付き纏うので、ほとんどツアー便乗参加型である。
若かりし頃の業務出張は、現地出先の駐在員がアシストしてくれるので、こなした数ほどの苦労が無い。
帰国後の出張報告は、きっちり提出した思いのみがあるものの、まずもって景勝地を訪ねないし・そのぶん印象もまた乏しい。
自己支弁で行ったツアーは、費用面の制約が最優先課題だ。そのせいで悲惨な思い出を抱えつつ、草臥れて帰国することが多い。
何故そうなるかだが、現地で急に思いつく。時々に あるテーマに捕われる。
そして それに向けて突っ走ることがままある。
部分的に個人スキップ=目立たぬようにドロンする=しながら、その日の終りには全体スケジュールの中に埋没する行動だ。
遊びの旅なのにハラハラするは・探し物とすれ違うは の繰返し、マラソン気分の日々を今でも思い出す。
さて、台湾だが。
最も近い外国なのに、60台半ばが過ぎるまで1度も訪ねなかった。
振返ると思う 実に軽率な半生であった。反省しきりである。
あらゆる意味で,最も遠い外国=USAには。な・なんと、累計5回も行っている。
取り返しのつかない失敗だ。
次に訪問度数が多い中国本土、これまた3回行った。
これも迷わず多過ぎ。
シマグニ育ちは、大国願望の本能と言うか?無いもの補完願望の行動パターンがあるのだろうか?
それは結果=無価値であったことに気がついて終るのだが、全ては後の祭りである。
ここで言う「大国」とは、単なる体制迎合のモノ言いでしかない。
国土面積が広い・人口が多い・・・大国の実質とは、ただそれだけのことでしかない。
量的要素だけをもって大国と呼ぶことに、プラス評価はまずない。
それ以外・それ以上のことは、筆者は判らない。
再度断言する。米・中ともに質的要素において見るべきもの=殆ど皆無である。
さはさりながら、台湾の想い出を述べよう。
貧乏旅行に徹して1日1万円の支出にとどめた。
それでも温泉三昧の日々を過ごし・故宮博物館に2日も通った。
そのうち また行きたい。
詰まるところ、台湾もシマなんだと思う。
加えて、気苦労が少ない。
仮称=文字読解手法・・・としておこう。
所謂 根底にある漢字圏の文化素養が機能する。
彼らは、音声を発しない日本人であるなとしっかり見抜いている。
こっちも必要なことは紙に書いてから,やんわり示す。
それで通じない時は、諦める。
それでよい、そもそも旅など,そんなものだ。
さて、温泉だ。4日かけて4種類に入った。
総括的印象は一言で言えば、概ね「監視の眼」があること。
そこが日本と大きく違う点だ。
各温泉の印象だが、ここは実際に入った 時系列準をもって書く。
最初は、關仔嶺温泉である。
なお、ここでの表記は、原字に限りなく忠実に従いたい。がしかし、台湾は繁体字VSパソコンが米国製だ。
フォロウしたくとも、限界は早晩 来そうである。
關仔嶺温泉の所在地だが、入国地の台北松山空港から高速鉄道に乗換えて、嘉義市<吾が耳にはチアーイーと聞えたが、言いにくい市の名ではある>に到達。
その日は、そこの駅前に1泊した。
翌日、駅前始発の路線バスに乗って、關仔嶺温泉を目ざした。
旅の達人 先達と仰ぐ”朱鷺先杖”氏のアトを無言で付き随う。
中国語を操り・年に2桁台近い頻度で来台するそうだから、筆者初めての旅も不安は全くない。
あそうそう,筆者が無言であることに意味があるのだった。
朱鷺先杖氏を金魚と例えよう。さすれば、離れず付き随うソレガシは。金魚の排泄物に当たるから、”フン”としか言われない。
現地の人が、事情を知らずに。時に筆者に話かけてきたら、筆者はどうするか?
簡単である。金魚先生を指差しながら 『ラオバー』と発する。
アトは筆者など眼もくれず、金魚先生に向かって、ひたすら畳み掛ける。
師のカゲを踏まないように、3歩以上退り。蚊帳の外に居って、その国のありようを眺める。それがまたいい。
疑問を持つことは多々あるが、深くは踏込まない。そのうちに判るものは自ずから判る、しかしほとんどは判らないことだ。
嘉義市街を出たら,そこで熱帯に入る。
バスの外の生り物が気になる。俄百姓ではあるが、台湾にあって吾が足元に無いもの。それはやっぱり,サトウキビである。
実物を見たことが無い。特に成長途上のサトウキビなら、100%判ることは無い。
よって、畑にある生り物が判らないまま、目的地に着いた。
かなり奥の深い・起伏の大きい渓谷。その入口付近の最初のバス停で降りた。
バス停のすぐ前の山荘が今日の宿である。建物は古く・風格のある造りだ。
平日のせいか?客は少ない。
午後と云っても外はまだ明るい、まず温泉へ。スパ・ルールどおり直行したい。
熱帯圏と云えども季節からしてオフだ。露天風呂はもうやってない。
宿に備わった屋内の温泉場へ・・・見たとおりに書く、湯治場ルックスである。
湯船に入る前に、まず身体を洗う。国際ルールだが、湯船の中からしっかり監視されている。
シャワーとは名ばかり。水しか出ないぞ。と、金魚先生ノタマワく。
金魚のフンとしては、憤然として。大事な所=お玉ならぬオマタのあたりをしっかり洗っているように演技してから、、、
湯船の中が、これまた冷たいのだ。そして、薄暗い中に、マッド・ポッドの噴出が、あちこちと動き回る。
泥湯である。
マッド・ポッドが動き回る。なんと自然の姿。
ではなかった。
底を這うホースの先が、あちこち彷徨っているだけだった。
何となく落着かない。湯温が低いからだ。
温泉の名に沿い、やはり温泉では、そこそこ暖まりたい。
室内が暗い。
湯船にはそこそこの人数がいる。とても静かである。
場違いと思うくらい若者が多い。平日の午後だが、どうしたことか?
誰も言葉を全く発しない。
普段、外国人を見かけない場所に、我ら日本人がいるからだろうか?皆、黙している。
早めに上がった。
格別、アッタマッタ感じはない。否 全く暖まってない。
何となく、清潔感が乏しいようだ。
この日も・帰路に当たる次の日も、日本語を耳にすることはなかった。
路線バス利用・現地人向温泉旅館宿泊利用は、格安プラン・ルートだ。
贅沢が当たり前になってしまっている日本人。
水道・ガス・電気・電話・電波受信の料金=それは即ち生活必需にして・実質第3〜7番目の税金・そして国際相場比300〜700%の料金設定だが=を高過ぎると、異を唱える邦人がまた少ない。
よって、格安プラン・ルートの現地人相乗り旅では、日本語を聞かないことになる。
これも想像だが、鄙びた山の中の・古典的な温泉は、模様替えが進んでいるかもしれない。
老舗の温泉地から名の知れた高級別荘地へ移りつつあるかもしれない。
最後に念のため断っておくが、浴室の若者とは当然に全て男・混浴ではない。
平日にして・屈強ぞろい。おそらく警察・消防・軍人の類いであろう?
無口がトレード・マーク・・・・・眼は鋭い。何せ監視とは、眼でするもの
筆者に体験ない職種、想像の産物でしかない。
もちろん現地語は全く出来ないし・・・・