か麗の島 No.6

前稿で、縄文人と台湾先住民との近縁関係を述べたが、今日はその続編である。
独木船(まるきぶね)の素材は、列島周辺の出土例によれば、日本海側が杉材であり・太平洋側が樟材となっている。
では、何故そうなるか?だが。よく判ってないと言うのが、正しい答となろう。
樟材は、中国大陸南部から南西日本にかけてごく普通に見かける。大木になる樹種である。
独木船に限らず舶用材として木材一般の有用性はどうであろうか?
今日、木造船をほとんど見かけることが無いが。その現代の選択は、果して合理が貫かれているであろうか?
素材となれば、船舶ばかりではない。建造物しかり・自動車しかりである。
まず建物の素材だが、古い時代は洋の東西を問わず,おおむね木材であった。
それが現代では、コンクリートとなり・鉄骨とガラスなど不燃材の組合せとなっている。
もちろん、それが世界の大勢であるとまでは言わない。世界遺産にみるとおり多様そのものであるから
また列島の個人住宅に限れば、戦後植林樹が伐期を迎えつつあることもあって、木造住宅見直しの動きもある。
要するに筆者の考えはこうだ。木材資源が払底したから代替素材に移行したと見ている。
次にクルマだが、これも建物同様の事情。第1号完成品から代替素材である鉄板とガラスが定番となった。
さて、船である。
ペリーは、『黒船』に乗ってやって来た。
黒い煙を吐く『くろふね=鋼製構造船』に、一挙に度肝を抜かれてしまった。
以来列島は、科学的先進性と合理性は、なべて欧米にありとなった。
脱亜入欧・文明開化。西洋崇拝一色・一辺倒の国策=「追着け追い越せ」スローガンが登場した。
自らが立つ民族固有のスタンスを全て投げ出し、アジア太平洋戦争の無条件降伏まで、猪突猛進して自滅の道をひた走った。
黒船出現以来足かけ100年に9年ほど足りない長い期間の妄想・驀進・構造的国民病であった。
いささか長い脱線をしたが、船が鋼製に代ったのは、良材たる大木が失われたためである。
七つの海を支配した海賊国グレートブリテンは、大樹を求めて世界中を探しまわった。
見つからなかった。ついに諦めて、代替材を求めた。
国を挙げて、舶用材の開発など、全方向イノヴェーションに励んだ。
産業革命なる意想外の成果に達し、技術史の未踏領域にまで踏込んだ進化の一面を評価することができる。
がしかし、人類史として俯瞰した場合、人類益を増大した面が乏しく=進歩なる表現には到底馴染まない。
その背景を略述すれば、一言である。
産業革命がもたらした資本主義なる経済体制は、グローバルに奴隷の数を増しただけであった。
資本主義経済体制の下では、労働力は商品とされ・売買の対象とされた。
労働者は自らが手を下して完成に貢献した生成物に対するワーキングシェア権=いわば当然にに認められるべき権利=を奪われてしまった。
ワーキングシェア権を奪われた労働者のことを,現代社会が奴隷と呼ばないだけのこと、実態において奴隷同然でしかない。
近現代は、言葉遊びがより悪辣・言語的ルーズさが辛辣になっただけのことである。
さて、世界で最初に鉄とガラスで船舶を造ったのは、グレートブリテンであった。
偶然にそうなっただけのことでしかない。
冷静に考えれば、よりベターな別の進路があったかもしれない。
初心に還って、木材を育てること。など・・・・
まさにあるべき道に立ち返ることも一考されるべきでないだろうか?
さて、前稿で台湾から船出したも勇敢な者たち。その一部は北に達し・別のグループは南に向かった。と書いた。
歴史的事実の回顧であるが、必ずしも人類の意思が選択した結果であるとも言いがたい。
今日はその当たり前のことを述べて、稿を閉じたい。
彼らの進路を決定したものは、潮流である。
彼らの時代は、意思をもって潮流に抗うことは殆どできなかった。
潮流のことは、基本的に通史的なことであって、現代もそう変化してはいない。
ただ現代は動力船の時代であるから、潮流を容易に離脱することが可能となった。古代の航海がしばしば致命的な事態に至る冒険であったが、その真実は今や昔の話になった。
話題は建設的に転向するが、昨今ウナギは価格高騰著しい。
幻の高級魚となってしまっている。
ここで言う「幻」とする背景は、長い間の調査研究にもかかわらずウナギの生涯が杳として判明しなかった。ことを言う
ウナギの大回遊性が知られたアトも、産卵・繁殖域が判明しなかった。
列島に回遊する種であるニホンウナギについて、ごく最近、マリアナ諸島西方海域であろうとの報告が為された。
ウナギの子は、その産卵地を出て北赤道海流<東からほぼ真西にあるフィリピンに向かう潮流>に乗る。
北赤道海流は、フィリピン島にぶつかる手前で、南と北に別れる。
南に流れる方をミンダナオ海流と言う。
北に流れる方は、台湾島の東沖から黒潮になる。
既に述べたことの繰返しになるが、台湾から大洋中心に乗り出した生粋の海洋民は、多くは黒潮にぶつかり。
そしてごく一部が逆の南に進むことになった次第である。
黒潮は、地球上最大の海流である。平均流速2〜3ノット、潮流幅100〜150km、公称流量数千万トン・・・
スケールが大き過ぎるものは、人知が及ばないことが多い。
北大西洋にメキシコ湾流なる名のこれまた大潮流がある。いずれの方がより大スケールであるか?
知りたくもないが、数千万トン規模では計測不能
よって本当のところは判らない。まあ互角としておこう。
さて、黒潮だが、実は奄美大島付近で2つに分かれる。
その1つが、九州の西海岸を北上する。日本海へ向かう少数派だが、壱岐対馬の間を流れる暖流である。
主流は黒潮そのものである。列島の東側を少し蛇行しながら北上する。
潮に乗ってしまえば、何もしなくとも熊野灘遠州灘と北に流され・三陸沖で大きく東に向きを変えて、列島から遠ざかる。
近世の頃の列島太平洋岸の海岸民族は、十分にそのことを知っていた。
漂流の代表は、ジョン万次郎だが。
彼のケースは、最も希にして・しかも恵まれた数少ない例。
海は、生物はもちろん・鉱物の果てまで。何でも構わず飲み込み・溶かし込んでしまう。
だから、海には何でもある。地球上の全ての要素がある。
レア・アースからウラン原料まで、低コストで海水を濃縮し・必要元素を抽出することができれば。
人類の未来はとっても明るいのだが、、、、、
今日はこれまでとします