ジジィ専科 No.5

* ソチも来て  こそあど会議の  開催だ
[じじぃのヨコ睨み〕
冬季オリンピックも中盤だが、日本勢の活躍もそこそこの成果で推移している。
メディアの焚付けに乗りやすい国民性は、実に困ったものだが、、、、これはメダルにあらざれば、努力として評価しない=国民大多数の冷酷さを踏まえたもの。
この際だから、国際ランキングをもって格付しよう。
メダルは愚か8位入賞も無理の2桁後半台であろう。国民の品位=17位、メディアの資質18位=最近低落著しいのは、自称公共放送の低劣人格者が結集した某官営放送の品位低下であるが、、、、
クーベルタンのオリンピック精神なり・真のスポーツマンシップに則った報道なり・聴取姿勢なりの涵養を望みたい。
焚付けに載せられやすいと言えば、約110年前の日比谷焼き討ち事件を思い出す。
場所こそ海戦のあった日本海と旅順要港などで、黒海沿岸のソチとは遠く隔つが、当事国は日・露である。
メディアの煽りに悪乗りして、戦術規模での勝利は事実としても、戦略規模では勝敗を論ずる段階でも無いのに、アメリカの休戦仲介を受け容れて、さしたる戦時賠償の獲得も無いまま戦争休止に踏み出した時の政府を批判して暴動が起った。
あれから110年経過したが、モノごとの本質を解さないまま、メディアに踊らされやすい列島人の気質は殆ど変わってないようだ。
辺境立地の領土問題においても、旧態然たる報道姿勢とマジョリティー層の反応が、文明開化期のイデオロギーそのままであって、軍制君主専政時代のパラダイムをそのまま保持していることに今更ながら驚くばかりである。
[爺ぃのナナメ読み〕
そち・・・音としては、いささか古態? 現代的発音としては ”そっち” と言わないと通じないかもしれないなあ!!
こち・・・  あち・・・  どち・・・  4態揃って指示代名詞1セットだが、 それぞれの中間に”小文字のつ”を挿入して、やっと現代語に仲間入りかもしれない?
こち=東風と変換された。これは、菅原道真太宰府で詠んだ歌に出てくる。
東の方から吹いてくる風のこと=そっちの方向に彼の生地にして故地があるから、望郷の感懐を示す歌となる所以である。
とまあ、脱線したが。ここで留まることにして ”あち”にはいかない。
曾地は、何度か通っている。
新潟県柏崎市の山中にある。長岡から上越市方面に抜ける主要国道の途中だが、所謂豪雪地帯であり、高速道路が並走する。
曾地峠があって、古代から重要な交通の要衝に当たる地とされる。なお、現代の国道は、峠を通らないように変更されている。
では、その辺に何があるか?
付近一帯が、かの有名な火焔土器の出土地である。
隣接の長岡市内の高原台地には、市立と県立の博物館があって、それぞれ火焔土器を展示している。
火焔土器については、岡本太郎が適切なコメントをした旨を紹介して,以て稿を閉じたい。
[ジジィのマッディ散歩〕
「そち」は、”とし”に通ずる。
以下は、地名に関する一考察である。
そちと音で聞こえる地名の持合せは、今のところ他に無いが。”とし”は、鳥海山の北麓仁賀保高原に冬師を思い出す。
「そち」も「とし」も、同じ性質を持った地形である。と考えている。
音においても、相互に置換できる関係にある。音韻学的には同段通音として互いに融通しやすいであろう。
言語・音韻について、専門的知識を持合せている者でもないので、おそらく誤っているだろうが、、、、
五十音表の並びで、『さ』行は『た』行の隣にある。並びの近いのは、”音”として近いからではないだろうか?
ついでの脱線を。英語でもSとTはくっ付いて隣にある。きっと近い文字相互間で貸し・借りがあるから、そう並べたと思っている。
では、「そち」・「とし」は、どんな地形なのか?
答えよう  クロス・ロードである。
秋田県内陸にそのものズバリ「十文字町」なる地名がある。
「十」に因むアナログ図形文字の地名を列挙しよう。
十河 or 十合<=そごう>  十三<=じゅうそう>  辻<=つじ>
最後の”辻”などは、和製文字であろうか?
もう議論は尽きているので、これ以上は語らないが、
最後に曾地を通った人が、どんな人達であったか?
想像たくましく語って稿を閉じたい
平民が自由に旅行をしたり・転居したり出来るようになったのは、明治以後のことである。
中世の農民は、奴隷のように土地にへばりついて暮らし・産まれた土地で死んで行ったから。おそらく曾地を通ることは、生涯なかったであろう。
人口の数からすれば、そのような人達が圧倒的多数であり。他国から来て・移動を伴う生き方の少数者を差別する傾向すらあった。
曾地を通る人は、定住性の生き方をしない・ある意味特殊な職業に属する民衆であった。
移動を伴う生き方の例を羅列しよう
○世間師=世渡りをしながら情報伝達の機能を果たした=民俗学者宮本常一の指摘した放浪者
木地師=ろくろなる木工道具を携え木製食器・日用品を供給する機能を果たした。滋賀県のある地方を本拠とし各地を漂泊した
○修験者=仏教・山岳密教系の伝道者、俗に高野聖と呼ぶ例など。金属産業との重なりがある例多く、探鉱・冶金の技術を持つ。
木地師同様の機能から、定住性を欠く業種・業態である。農機具・武器などの供給者
日用品・陶磁器製食器の供給が、中世においてどのように為されたか?を筆者は浅学にして不知だが、瀬戸・唐津の名が示すように産地が偏在したこともまた事実であるから、修験者またはその周辺に存在した民衆が流通に関与した可能性がある。 
 山の民でもある
○川の民=所謂運送事業に従事する非定住民、
最後に掲げた「川の民」は、一見して山の中の峠を通りそうにないが、安易に決めつけるべきではないと考える。
山から川から海まで、どこまでも人を介して繋がっていたはずである。
彼ら移動する民は、里の入口まで到達しても、里人の居住・労働するフィールドには立入らないように心がけていたかもしれない。

山の民・川の民―日本中世の生活と信仰 (ちくま学芸文庫)

山の民・川の民―日本中世の生活と信仰 (ちくま学芸文庫)