おもう川の記 その1 はしがき

水は癒しをもたらす。
川のある街を散歩することが好きである。
できれば,日本中の川を眺めに行きたいものである。
更に我が儘を言わせてもらえば、
町の中に居て川の畔に立って上流の方を眺めれば、そこに山並が見える。
飽くほどに山と川を眺めてから、やおら思い出したように川岸を下流に向かって歩き出す。
やがて静かな夕景が迫る頃となり。
ほどなく海に注ぐ河口が見えて、波打ち寄せる渚に立つ頃、上流を振返ると。
そこにある山の端越に、月が静かに昇ってくる。
そんな沈静の漂泊が,吾が人生の理想である、、、、

日本に限れば、この50〜60年の間に、河口の街は経済的に飛躍したからか、急激に人口を増やし・街中の建物が高層化している。
その結果として、海の際や河口からの景観は、その品格を傷めてしまっている。
川上にある里の景色や,更にその奥に端座する外山の佇まいを見通すことができにくくなってしまっている。

ここの書き方を、狙いがあって、進行形の文体とした。
戦後のある時期、経済拡大を何よりも大事と思って、景観が持つ本来の価値をないがしろにする生き方を勧めてきたようだ、、、、
都市も高層ビルも所詮人が作ったものに過ぎない。
作ったものはいつか壊れるし・その前に立替えることができる。
人の意識も変るであろうし・失ったものの価値に目覚めてやり直すことがあろう。
景観は一時的でしかないという認識に立ち、あえて進行形文体にした。

景観は、環境のうちで、最も判りやすい要素である。
海辺に立てば里の広がり・野のうねり・山のたたずまいが一望できる街は、思い出の中にも確かにあった。
そのような街は、間違いなく安全であったような気がする。
そこに住む人々は、なんとなく悠々と生きていたようだ。
そのような景観を探し求めて、あちこちをふらふらと歩く、そこで感じたことを書留める。

心の中にある昔の景色もあるかもしれないし、これから初めて出逢う光景もあるであろう。

以上が、おもう川の記のはしがきです。
明日は、第1章となります