じじぃせんりゅう No.7

* 見直しだ  経済学を  掘り起せ
[じじぃのヨコ睨み]
見直しが必要なのは、自分の足元である。
人間は,本来が社会的な存在だから。孤立しては生きられないが、、、だから,行政府が提供するセーフティー・ネットなどと,殆ど当てにならないシステムを頼る事もまた出来ない。
個々が自立する事。それが経済学の真の意味である。
いささか,釈迦に説法だが、短く「経済学」の2つの側面を述べてみたい。
地球から未知のフロンティアが消えて、世界と地球が同じ存在となっても、東の考えと西の考えとは,並立しており。ほんの少ししか重ならない。
東の経済学は、経世済民の学から出たコトバで。儒教的なマントを被っている。民の生活が安らかであるように政治を行えとの君主に求める徳目の1つである。
今日の民主制を掲げる体制でも、民度の向上は重要スローガンであり。主に足元の国では、景気対策と同語になっているようである。
以上が第1の側面だが、次なる第2の側面は。対する西の世界で、”エコノミー”と言われたコトバを開国以後翻訳語として、”経済学”を当てるようになった。つまりここで言いたい事は、翻訳する前とアトでは、かなりニュアンスが食い違うぞ。である。
”エコノミー”は、古代ギリシャ世界に既にあった。古代の地中海・エーゲ海世界では、幾つになっても独身男は一人前の男とは認められなかった。妻を娶り・子を養ってはじめて男になれた。
何故だろうか?家族を雨風から護り・家族にキチンと飯を食わせている事=”エコノミー”であった。
同じ事を言い換えると、家庭経済の確立=自立であった。
”エコノミー”が備わった者だけが、政治=公的な問題を論ずる場=議会の場において発言する資格があった。
古代のデモクラシーは、古代ローマの出現によって崩壊したが、私的経済と公的政治とを明確に区分して。公・私の間に、ファイアー・ウォールを置いて。公私混同するイカサマ師を軽蔑し・排斥した。
現代の政治と経済の間は、公金横領こそ。特権を持つ者が、当たり前になし得る事だとする。誤った見解が大手を振って闊歩しているように見える。
見直すべきであり・掘り起すべきであるのは、そこのところである。
[爺ぃのナナメ歩き]
個人の暮らしも若者の一生も、そして国際政治の付き合いも、基本は1つである。
素性の善くない相手とは、距離を置く事である。朱に交われば、自立しているつもりでも赤くなってしまっているものである。
昨今日本版NSCとか・秘密保護の悪法とか、直近の選挙公約にも掲げてないような,キナ臭い法案がそれもごく短い間に民主政治の根幹を揺るがすようなあくどいやり方=強行採決をもって成立していると聞く。
なぜそんな事情なのか?と伺うと、アメリカと歩調を合わせるための措置だと言う。
それを聞くともう殆ど,再び戦争に向かう危険な道へと踏み出した。と感ずる。
合州国は、州レヴェルはさておき、国レヴェル即ち大統領の行政権限は、極めて狭い。
初代大統領ジョージ・ワシントンが、独立戦争を指導した最高軍事官であったように。合州国大統領が自ら議会に出席する仕組は全く無い。短約的に纏めれば、軍事的に強力でも・政治的な権限はさほど強くないのである。
外交と連邦軍の統率くらいしか行政項目は無い。
さて、亡くなったケネディの娘が、駐日大使となって着任した。彼女の父が暗殺死して、今年で50年が経過した。
若いエース・大統領の就任式で、前任のアイゼンハワーが行った退任演説が、あの国の連邦政治の全貌を示唆していた。”軍産複合体”のブラック・フォース、これはつまり死の商人と失業対策のために連邦法が養う殺人集団=正規連邦軍とが癒着している事を、公の場で公人の最たる職位にある者が,明らかにしたのである。
白昼堂々と振る舞う・何ら恥じる事の無い・悪徳の極みたる公金横横領集団が、政治と経済の両界を牛耳っている構図を思い描く。それがアメリカの病根である。当分の間、この泥沼から脱却する方法は見つかりそうにない。
アメリカの航空産業や宇宙開発関連産業などは、印刷された紙幣を政府が増発する事・公的借金をどんどん増やし、それで経済を動かしているつもりである。殆ど狂っている。
軍産複合体”の存在が、アメリカ政治と経済の中核となって既に久しい。徹底して腐ってしまった社会構造である。
そんな全身不随状態の国と共同行動をしてはならない。近い将来、戦争に巻込まれる懸念がある。
戦争するために国がカネを使う。それが即ち特定個人の懐を分厚くするなんて、どう考えても危ない。
古代ギリシャの民主制へ立ち戻ろうよ