じじぃせんりゅう No.3

* 寒さ来た  原発難民  偲ばるる
[時事のヨコ睨み]
2013年も残り2ヵ月を割り込んだ。メディアの報ずるとおりに、当地の天候は推移している。
その昔天気予報の当たらざるをモジって、「てんきアホウ」などと揶揄する声があった。最近はよく当たるから、まさに「てんきヨホウ」に値する。
以上がマエ振り。以下は上掲の駄句を詠んだ経緯
昨夜のNews Web。その終盤コーナーで放映された映像付きの天気予報は、翌日の寒波襲来を告げていた。
爺ぃの着目点はこうだ。
遥か西のユーラシア大陸上空の高気圧と逆サイドこれまた遥か東方の太平洋上に位置を占める低気圧
この二つの気団の気圧差は30ヘクトパスカルもあるゾ。
官営放送NHKが発する深夜番組=News Webを褒めたい。
”この日のメインテーマ”は、ツイ−ト。
ツイッターは福島第1原発の中で働く現場作業員らしい
これも時々ナマ映像付きだから迫真性に富む。
一般人の立ち入りが許されない放射能汚染の発源中心の『ナマ絵』が持つ迫力・信頼度は抜群だ。
ヨコ睨みが甚だしい爺ぃは、このツイッターもまた「原発難民」のひとりであると想い、寒波がもたらす風・雨の中で作業をこなす困難と苦労を偲んでいた。
次に、この原発を敵のように恨んで<ウランは原子力パワーのキモ=爺ぃのヨコ走り?かな>いる数十万の漂白人の身の上を偲んだ。
先祖伝来の地を遠く離れ、いつ故郷へ戻れるか=明日の生活設計すら建てられない、知らない土地・耳慣れない放言の壁にたじろぎ、不安ばかりで暮らす日々。
それが筆者の知る流浪・漂白の暮らしである。
ここまで廻りくどく述べると、原発現場作業員も仮設住宅居住者も、ともに原発難民であり。
台風襲来も暴風雨も寒波降雪も、万人にとって等しく、更なる苦難の追打ちだが。定住者と難民とでは受ける感想がかなり異なるようだ。
[爺ぃのナナメ読み]
1、 所謂メディアの浸透は、気がつかぬうちに吾が個人規模の細やかな生活の裡にも及んでいて・既に確固たる”座”を占めていた。
2、 60数年の吾が人生の中で、最も変化したものが”メディア”だと思う。
 a まずは文字によるもの・・・新聞・雑誌・書籍
 b 生まれた時,ラジオがあった
 c テレビは世にあったが、定年後64歳過ぎて・側に
 d ツイ−トは、未だ吾が側に来てない
3、 筆者は”メディア”を論ずるほどの知見を持合せないから、以下に述べることにあまり自信がない。
4、 a・b・cまでは”メディア”の範疇で、dは”メディア”に含めないとする考えもあろう
5、 ツイ−ト=これも新しいメディアの1つであると筆者は考える。
6、 ツイ−トは、爺ぃ観想では電波伝搬による独り言・つぶやきと言えよう。
7、 つまり、私的な手紙を・受取人を指定せず・不特定多数が・その気になればいつでも読めるようにして・電子的空間圏域に・そっと置いておくことだ。
8、 私的な発信である・受信側のアクセス行動が必要な点において、dはaの雑誌・書籍に近い位置づけであろう。
9, 外国は知らず・この国ではaの新聞とb・cとは、行政庁の許認可事業であり・その監督を拒めない。
10、 9に掲げたものだけを”メディア”と認める立場の人が一定数存在する。
11、 そこに憲法の掲げる世界と戦前からあった個別事業法との乖離がある。
12、 9に掲げた=既成メディアは、権力機構と驚くほどべったり全く重なっている。特に地方がそうだ。
その地域には、地域自治も人権認識も自由な空気も殆どない。
13、 最近国会に上程される法案の多くは、12に掲げた3つの希望を押しつぶす内容である。
14、 b・c・dは、電磁波を媒体=キャリアとする情報伝達
手法だが、外国は知らず・この国では、b・cが放送なる言葉と事業法で扱われる。dは通信なる言葉で捌かれ事業法もまた前2つとは別扱いである。
筆者は、b・c・dを区別するべきでないと考える。その理由を簡単に述べると、電子科学的に同じものだからであると答えたい。
15、 News Webの存在は、放送と電気通信とを繋ぐ・極めて新しい試みである。と、某官営放送の”この国での勇断を”評価している。
採上げたテーマを展開させ・総合性を補うコーナーがある。専門家がスタジオまたは電話で、解説・評論などコメントするが。電波メディアに活字メディア並みの奥行を加えようとする・新しい試みに賛同したい。
16、 爺ぃのナナメ・ツイートによれば、この画期的番組は3月を以て打切りとなるらしい。
この番組を切捨てる措置が、アベノミクスなのか?ナア