にっかん考現学No.71 信使よも4

先月から始まった通信使よもやま話。本日はその第4稿
よもやま話では、14〜19世紀(列島では室町幕府〜安土桃山〜江戸幕府の時代だが)日韓間における外交使節として来日した「通信使」が、どのような時代背景のもとに派遣されるに至ったかを考察するシリーズである。
よもやま話の第1稿(No.68・9月29日)で5つのキィーワードを掲げ。そのうちの最初の話題として「倭冦」を述べはじめ、今日は続々編=最後の稿である。
さて、既に述べたとおり「倭冦」は海賊行為であり、実行する武力集団も・その被害を受ける沿岸住民もまた奴隷であった。
こう言い切ってしまうと、読者の皆さんは。
海賊も奴隷も近世・近代のいずれかにおいて禁止され・今やタブーに属する言葉であり・死語に近い存在とばかり、容易に切り捨ててしまわれるかもしれない。
確かにタテマエ=法の上の制度ではその通りであるが、現実の社会実相=ホンネの方は経済行為での搾取の構造であるから。時代を超えて水面下深くで執拗に生き延びており、ブラック企業から派遣労働までと。実に多彩にして・多様であって、忘れた頃に時々露呈する嫌いがある。
海賊のほうはウィキペディアを検索したら、1955年頃まで瀬戸内海方面では根絶できなかったとの記事があった。国内にしてそうだから、国外でも。北朝鮮による拉致事件は、戦後の平和な時代に起った。
奴隷のことも一応型通り触れる。
性的奉仕にからむ赤線の廃止が1950年代だし、一時鎮火しては度々世界各地で再燃する慰安婦問題も同根である。事実において奴隷マターであって、根が深いために決着しにくいと言わざるを得ない。
先に、今年6月上映開始された日韓共同制作映画『李芸・最初の朝鮮通信使』を紹介(No.68・9月29日)したが。
この映画の主人公=李芸(イエィ 1373〜1445。李氏朝鮮王国の官人・外交官)の略歴を同映画の公式ガイドで閲覧すると、「彼の母は、8歳の時に倭冦により連れ去られた。生涯40回超も日本・琉球対馬を訪れ相互の友好を図った」とある。
イエィが、とおり一遍の外交官僚として任務を果たす以上の熱意をもって事に当たったのは、自らが拉致被害者であったことに起因するであろう。
なお彼が果たした業績については、アトの稿で詳しく述べることとしたい。
・・・・5つのキィーワードのうち「応永の外冦」編・・・・
さても「倭冦」はあくどい事をしたものである。
彼らの顔は複雑にして・神出鬼没であると既に述べたが。
なかでも所謂海賊行動たる略奪の対象だが、まずはコメなどの食糧・次いでヒトであったらしい。
コメのほうは農耕地に恵まれない島嶼に居住する海生民族であることや「倭冦」の原発地が朝鮮海峡東シナ海の海辺であったことからして、その喫緊必要度は高かったであろう。   *末尾・注・参照
ヒトサライのほうは、拉致された人質を買取らせようとする意図(送還して代価を受取る目論見)もあったし。仮にそれが当て外れで不調の場合は、他国に奴隷として売渡す方策もあった。
人道に対する罪であり許しがたい、人類最悪の愚行に該当する。
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<注>

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今日はこれまでとします