にっかん考現学No.69 信使よも2

先月から始めた信使よもやま話の第2稿である。
前回キィーワードを5つ掲げたが、今日はその中から「倭冦」について論ずる。
倭冦の存在が、日韓間の通信使往来を開始・継続する前提となったことを忘れてはならない。
信使とは、もちろん通信使のことだが。朝鮮の文字は、正確性の点から使わない。
いささか微細な話題だが、朝鮮なる言葉が多義なため誤解を避ける必要があって、正確を期すため使用を避けている。空間域としての朝鮮をさす場合は、韓半島と表示するようにしている。
李氏朝鮮国の建国は、明徳3(1392)年だが、その年に高麗が滅亡した。
高麗からも当時の日本列島へ外交使節が到来しているが、それ等を朝鮮使節と呼ぶべきではないからだ。
それから、事が外交問題だから双方に偏ること無く,出来るだけ客観的な記述姿勢を保ちたい。
さて、倭冦だが。倭すなわち日本・日本人と考えるのは,明らかな誤りである。
海賊船が直前に出航した港つまり陸の根拠地は列島内であった可能性があったとしても、その事を以て「倭冦」すなわち「倭人」とすべきではない。
海賊行為をした人物が日本人の出立ち=衣装・風俗・言葉など=であったとしても、それは「倭」を意味しない。
明らかなる「倭冦」は、通信使の時代に限れば。歴史上2度あった。豊臣秀吉朝鮮侵略である。
対岸の韓半島では、ピーク総勢16万人の兵を発した2度の戦役をも倭冦と呼んでいる。
文禄の役=壬申倭乱(1592)。慶長の役=丁酉再乱(1597)である。
日韓の呼び名を併記した。
壬申<じんしん>・丁酉<ていゆう>は、十干十二支による年号表記法である。これは還暦<かんれき>と同じ暦法で、長寿を達成した現代日本にも部分的に残っている。
さて、秀吉の愚行=2度の倭冦についての抑えだが、多説あってよいのだが。如何にも尤もらしい誤説がある。
それは秀吉が中国を目ざしたのであって、韓半島はその通り道に過ぎないとする説だ。
その場合韓半島は迂回通路となるに過ぎない。
バイパスでの戦闘で挫折・敗退した。それを2度も重ねてしまった。
急がば回れ』戦法が皆無とは言えないが、評価に値しない愚策以外の何ものでもない。
では、そのような駄説が何故?湧きあがったのだろうか?
筆者なりの理解では、後世の創作=明治軍閥が抱いた大陸進攻妄想があると考える。背景にある皇国史観は、殆ど軍国思想と同根だ。しかしここではこれ以上踏み込まない。
先に「倭」すなわち日本・日本人と考えるな。と述べたが、根拠は多々ある。
ここでは1つだけ、鳥越憲三郎氏の著書である『古代朝鮮と倭族』(1992初版・中公新書)を紹介しておく。
筆者の理解では、ある時期韓半島の南部と九州の北部が共通して倭族の居住地帯であったらしい。
しかも、この海峡は、稲の1種であるジャポニカ米をもたらした重要なルートでもあるらしい。
とまあ、以上で前庭の清掃を済ましておいて。
さて、いよいよ「倭冦」の実態は、どうであったかを述べることとしたい。
まず、史書にみる最初の倭冦を採上げる。
韓半島の歴史文献である『高麗史』によれば、庚寅<1350・こういん>2月倭冦の侵はじまるとの記述があって、これが倭冦の初見とされる。
想像される倭冦軍団発源地である日本列島の情勢だが、所謂南北朝並立時代に当たる。年号も各々の王朝別に2つあったが、ここには掲げない。
ここに言う倭冦の発源地とは、武装した侵略行動実行者の出発・帰還の地=ベースキャンプを指すが。具体的には、九州北部(特に長崎県の松浦・対馬壱岐五島列島などを含む)の海辺である。
もちろん理論的には、海に面する地はどこでも発源地たりえる。しかし、帆船時代にして・外洋航行に耐える大型船(建造・操船・乗組員の統率などの諸能力が集合した乗物)を有して・東シナ海および朝鮮海峡を往復するなどの条件を考慮すると、適地は限定される。
そしてここに掲げた諸要素が、そのままボーダー・ビジネスの成立要件となる。
ボーダー・ビジネスを営む者は、何よりも自由を尊ぶ存在である。自由を制限する諸要素の中で、最も堪え難いものと言えば。
それは「税」である。
権力統制が及ばない・及びにくい地政学的条件を求めてボーダー・ビジネスを営む者は、まず海辺に船を保持しながら・都の地に最も遠い場所=現代風に言えば国境海域=に根拠を置いた。
しかも、この時代の列島内部は多数の権力が対立抗争していた。
武家政権である足利幕府(征夷大将は初代・尊氏)は、その存在感が希薄であり・政治的統治力が弱体であった。
足利尊氏は一時的に九州に滞在したが、彼は中央に復帰するための助力を九州に求めたのであって。権力者として君臨する狙いは更に無かったのであるから、ましてや列島外に向けられた海賊行為を規制する意図を持っていた筈が無い。
以上が14世紀半ばの東アジア情勢だが、文献記事は歴史事象の氷山の一角に過ぎないことは今や常識である。事実たる韓半島沿岸地域に対する侵略行動は,その以前すなわち鎌倉時代から既に行われていた事であろう。侵略対象地域には,当然東シナ海沿岸=中国の地もまた当然に含まれる。
その詳細は次回に述べることとして、今日はこれでとりあえず閉稿です

古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査 (中公新書)

古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査 (中公新書)