にっかん考現学No.68 信使よも1

朝鮮通信使よもやま話を今日から始める。題して信使よもの1。
「李芸」・最初の朝鮮通信使なる映画を観た方は,いらっしゃるだろうか?
2013年つまり今年の6月から列島各地で順次上映が始まっている、日韓共同制作の新作映画である。
と言っても、筆者の手元に。そう印刷された1枚のリーフレットがあるだけ・・・
ローカルそれも対外閉鎖カラーの強い?北陸に住んでいると、このような商業常設映画館の配給ルートにのらない映画を観ることは至難である。
まずインターネットで近隣の上映場所を探す、日・時に併せてマイカーを走らせるのだが、往復300km以内が体力・財力の限界と決めて自己規制している。
隣り合う県の次のブロック=滋賀・新潟までを視野に置くが、高速道路ネットが劣る岐阜県方面は視野に無い。
それに地方大都市はどこも駐車場料金が高くつくし、土地勘が無い所で空きパーキングを探すのは結構おっくうなものだ。
とまあ、肝心の映画はまだ見れてないのでネタばらしの虞れもないが、ここでは筆者なりに思い描く李芸の時代の日韓間交流状況を推察してみたい。
李芸(イエィ。1373〜1445。李氏朝鮮の官人・外交官)のことは、同映画の公式ホームページに略歴がある。
よってここで繰返すことはせず、筆者が理解する時代背景を述べることと致したい。
さて本論に入る前にキィー・ワードを掲げ、概ねの進行スキームを示しておく。
   〔 キィー・ワード ]
 ○ 足利義満(あしかがよしみつ 1358〜1408・在職=1368〜1394)室町幕府第3代将軍
 ○ 世宗大王(セゾンテワン 1397〜1450・在位=1418〜1450)李氏朝鮮第4代国王
 ○ 倭冦<わこう>
 ○ 応永の外冦<おうえい/がいこう>応永26・1419朝鮮軍対馬を10余日ほど侵攻
 ○ 歳遣<さいけん>船と文引<ぶんいん>制 嘉吉3・1443条約締結し「応永の外冦」の終戦成る
今日はよもやま話の初日なので、キィー・ワードを踏まえつつ論稿の概要を紹介する。
室町幕府は、京都室町に本拠を置いたことに由来する。将軍職は足利氏により世襲された。
将軍職とは征夷大将軍に任命されることだから、形式上は天皇権力の下部機関に当たるが。事実たる政治遂行は、将軍が統率する幕府が担当した。
この国特有の二重権力構造で理解しにくい。
因みに、この論稿で抑えるべき要点たる外交の実権は、幕府が握っていた。
早速の余談だが、列島史では幕府時代は3つあった。
鎌倉・江戸といずれも将軍の常在地名をもって呼ぶ。その背景は具体的権力の所在地名を使うことにより、朝廷のある京都との区別を図ったもの。
将軍家の氏名をもって表示してもよいが、足利氏も徳川氏も公式的には揃って「源氏」であったから区別しにくい煩いがある。3つの幕府時代とも「外観上源の苗字を名乗る者」が世襲した。
実質3代で直流血族が絶えた鎌倉幕府は執権・北条氏やその執権の家の家政職が事実上統率した。三重・四重の権力構造とも言える。
ついでの脱線だが。京都のうちの室町に、幕府を開いた足利氏の政権もまた不安定であった。
国内は争乱相次ぎ・大陸方面もまた倭冦が明国の沿岸から韓半島を毎年のごとく常襲する有様であった。まさに内憂外患に推移し、遂には内乱闘争が常態化した戦国時代に雪崩れた。
その呼び名が「戦国」と変るが、それでは何時?何の事象を以て?室町時代の終期とみなすべきか?筆者は答を持たない。戦国期の以前から既にして争乱常態であって、区別困難なのだ。
さて脱線稿からどう離脱しようか?と考えているうちに、今日の紙スペースはもう尽きてきた。
近現代に暮らす現代人は平和が実現し幸福なる日常なので、中世武士の思潮に実に疎い。
現代でも一触即発・危険極まりないとの形容詞が常に付き纏うイスラム原理主義なる言い方を、メディアがよくするが。
彼らの生き方と中世武士のそれとは、殆ど重なると言ってよかろう。
自力解決を当然であると考え、他力に頼ることなど想わず、常に武芸錬磨に励む日々を暮らす=それが武士の心情であって。
時代が下って戦国期が終わった後の近世・江戸時代=戦乱が消えて久しい頃の武士像とは大違いだ。
朝鮮通信使を考える場合においても同様である。
中世=鎌倉・室町・戦国期と近世=江戸期とでは武士像がガラリと異なるように、中世の通信使と近世の通信使とでは、時代背景が大きく異なる。
外交にはこっち側とあっち側の両面があるので、脱線の〆に図式化したい
  *列島サイド=1375年にあっち側から外交使節が来た。
         将軍義満(当時15歳)はこの者を拘留した。
  *半島サイド=その外交使節を発した王朝は高麗国。1393年高麗が滅んだ。
         同年李氏朝鮮が建国。この国は室町・戦国・江戸期を通じて存続。
         1910年日韓併合をもって絶えた。
今日はこれまでとします。明日から本論に戻ります