にっかん考現学No.63 通信使の13

朝鮮通信使の現場を観る旅の訪問レポートは、6月22日から始め遂に3ヵ月目に入り・3ヵ所目となった。
今日から鎌苅・編のスタートである。
これまで、牛窓鞆の浦→鎌苅と。つまり東から西へと向かって来たが、通信使の旅程としては、江戸で将軍と対面・李朝国王から託された国書を奉呈・徳川将軍から国王宛の返書を受取った後の帰路=帰国に向けてのルートに当たる。
外交官として大任の半分を果たし、帰国し復命すると全責任が終わる。
任務からの解放願望と望郷の念とが入交じった心境の復路のコースが、吾が訪問順序と重なるわけだが、それは筆者が北陸からアクセスしたので,たまたまそうなっただけのことだ・・・・
もう1つある。
これまで何度も書いてきた事の繰返しだが、通信使のコースは、大阪以西は海路を帆船で航行した。
よって、マイカーをもって陸路から上陸地を、それも適当にサンプリングしながら訪ねて行く本稿の探訪記事スタイルは、あまりにも安易・軽卒の極みだ。
そして各地とも最初の訪問だから、土地の事についてあまりにも無知である。
ありていに言えば、そんな羞ずかしさもあるが、ぶっつけ本番の旅を辞める気は全くないので,やむを得ない。
次回はマイ・ヨットを駆って?西の上関から東の端=上陸地大阪へと海路をフォロウする旅のレポートとしたいものである。
さて、いささか長過ぎる前置だったが、鎌苅島の存在は、実を言うと旅を始めた時点では全く知らなかった。
牛窓の通信使資料館=海遊館学芸員から類似の資料展示施設が呉市にあると聞かされて、急遽訪問先に加えたのである。
ぶっつけ本番の旅らしい軽快さだ。
カー・ナヴィとスマフォ検索が備われば、現地到達は極めて簡単な事。
IT時代は、まさにそんな安易さを実現させてくれるが、このレポート自体が、検索記事の寄集めで成立っているようでは、その中味がまた安易・軽卒にして読むに値しないと言う事になりかねない。
そのような事が無いように、資料収集と背景確認は、本腰を入れる必要があると、自らにカツを入れた。
今回の訪問先は、朝鮮通信使資料館・御馳走一番館。在/広島県呉市下蒲刈町三之瀬にある。
開館は平成6年と聞くから、牛窓海遊館より2年ほど遅れる。
三之瀬は、下蒲刈島にあるが、本土からは安芸灘大橋=有料橋を通って、マイカーに乗ったままストレートで行ける。
その本土との一体感が、島である事を往々に忘れさせてしまう。
そこが本当は危険なのだ。島に渡るために、フェリーの発着場と運航時間と渡し料金を予め調べる。
そして、波涛の彼方からフェリーの姿を眺める=この一見無駄な時間の経過が、島に渡る心構えを形作ってくれるのだ。
今回は、それが無かった。あまりにあっけなく島の中に居た。
今日はこれまでとします。