泉流No.115 入道雲

* 南山に  入道クモすけ  夏はしる
〔駄足] 6月も残り1週間、当地北陸も梅雨らしい空模様で推移している。
月のはじめ頃は,全くそうでなかった。
梅雨なしで、そのまま夏が来るような感じであった。諸般の事情から例年どおりで推移しないと想わず困ったことになるかどうかは別として、ジメジメじっとりが無いのならば、それもまた良いと想うばかりだ、、、、、
今月のはじめ頃、マイカーを運転しつつ家路に向かう道路。それは穀倉地帯の名どおり、田んぼの中を走るわけだが、野づらの南の端にある山が見える日は稀であり、好天が続くことと同じ意味でもある。
南の山にしてこの地域で最も高い山を白山(はくさん)と言う。もうその先には空しか無い。
南山(なんざん)とは、白山だ。
稀に見える山頂から山腹は積雪が陽光に映えて、ただただ輝くばかりである。古い国名=加賀、加賀のハクサンは、この山の輝くばかりの白さに因んだ国名なのではないだろうか?
この日は、格別に大きく輝いて見えた。
列島の太平洋ベルト・ゾーンには、既に早々と梅雨入りが報ぜられながら、空振りの空梅雨状態であったから、もう夏が来るのかと想うくらいの上天気であった。それもいかにも当地らしく1日限りであった。
”走り夏”なる言い方があるかどうか?を知らないが、時期外れに早く季節が到来するのを「走る〇〇」なる言い方はあってよいだろう。
雪の山容にしては、大き過ぎたし。光り方が著しく、まぶしい限りであった。そこで安全運転にココロしながら、山の様子を伺った。
白く輝く正体は山肌の雪ではなく、山のカタチに沿って塊を成す入道雲であった。
かつて見たことが無いような鮮明な純白さを持っていた
〔駄足の蛇足] クモすけとは、韻文向きでないかもしれない。
雅語を使うようにするべきかもしれないが、後段に「走る」がくるから、縁語のつもりで使ってみた。
胡麻の灰とも言うようだ。どっちにしても、全く良い意味はないようだ。
雲助は、弱肉強食の最たる者であろう。自分より強い者が現れると、それこそクモの子を散らすように逃げる。とにかく逃げ足が速いのである。雲助と蜘蛛の子とでは、クモの字違いだが、それはそれとして辞の由来はそうだと想いたい。
本俸では、名前はとても大事である。大袈裟に言えば、宿命的な属性を一生背負うようなもの=それが名前である。産まれた時につけられる。厳しく戸籍をもって”クニ”から管理される。宿命的とは、名前に儒教的な文化性の1つである『序列の概念』が織込まれている、そのことを指す。西洋世界と東洋世界の内なる華夷文化圏との決定的な違いは、ブラザーで済ませるルールと長男&長男以外とを峻別する繊細な慣行との差に収束すると言えよう。
その私説に従えば、「クモすけ」は、明らかに長男以外の出自である。この国では、儒教を認知してから以後、長男に「〇〇すけ」なる命名はしないものと考えてよいであろう。
長男は、生まれながらにして家業と家督を承継するから、街道でチョロチョロする必要もまた無い。長男以外の星に産まれた者は、食い扶持を探すために生涯家の外をウロウロして,時に”クモの子を散らすように逃げる”必要があったのかも知れない。
街道の時代=端的にはお伊勢参りの幕藩期は、序列社会にして・かつ世襲社会であったから。男子たる者努力と勤勉の賜ものをもってしても、生計を確立することは険しい道のりであった。そこまで踏込めば、宿命的な命名の意味が納得されよう。韓流ドラマの中に科挙制度が出て来る=これこそ我が国世襲文化の中にのみあって、他の東アジア圏に見当たらない慣行であると考える。
この国と中国・韓半島<北はよく判らないから含めない>の大きな違いであるかもしれない。
さて、空梅雨云々は、ある時期さもありなんだったが。気象庁の予報が外れたとか・誤報として明言すべきだとか、世上はかまびすしいものがあった。
これもまた如何にもニホン的な話題であると想う。
気象予報は、日々・刻々,時に長期予報3ヵ月・半年もあってよい。それはそれで予報のうちに含まれる。
だがしかし、梅雨入り宣言は、予報とは別モノであり、どうかと思う。
梅雨入りしたのは何時であったと事後的に追想し公表するのはよしとするが、前もって発表するのは,誠にもって妙である。
何故そう想うかだが、それは季節の始まりを予告するに等しいからである。何時から春が来るとか、いつ何時から冬ですなどと、フツウ言わないし,言うべきでないだろう・・・・
そもそも季節は四季に限らない。梅雨も秋雨も季節のうちであると考えたい。4つに限る必要は無い。
とまあ、兎角この国の役所は出しゃばり過ぎる。と言いたい。
オーヴァー・プレゼンスにして、クラウディング・アウトそのものである。前島密病以来のお手盛り式・排他独占・専売的武士の商法の盛行は、行き過ぎにして・百害のみある。悪しき伝統主義は、改めるべきである。
つい最近も、この手の行き過ぎがあった。日銀総裁の繰上辞任と3役一斉取り替えである。
財政も通貨当局も本来の役割は、脇役でしかない。
それがメディアの前面にシャシャリ出てきて、インフレ・ターゲット〇〇%などと、臆面も無く放言するに至っては、ミスキャスト著しい。アベノミクスは危ないミズだ、、、、
通貨の番人役が目立ってはまずい。国際的には通貨マフィアと公称されるくらい・ひっそりと大きなカネを動かして、とにかく通貨の変動を阻止することで通貨安定に身体を張る存在だ。本来が裏方の仕事だ。
インフレ・ターゲットを公言するなど、宣戦布告と似ている。始めることは容易いが、終わりにすることが難しい。出口・引き際が実に難しいのが、通貨操作と戦争である。
その点で、さっさと身を引いた「白」さんは、実に立派な適任者であった。白色は汚れが目立ちやすいからクリーンな繰上げ退任ぶりは見事であった。
後がまの”黒”は、クモすけまがいにハナから汚れが目立たない、それが持ち色というわけでもあるまい。