にっかん考現学No.51 通信使の1

今日は4月4日、数字重なりの偶数ヴァージョンだ。
偶数と奇数の間に、陰陽の差異を認めるのが中国古代以来の科学観である。
列島では、奇数を陽数とするから。1〜9まで、元旦に始まり上巳・端午・七夕・重陽節句が続く。
ところが、東アジアの中には,偶数もまた陽数とする国・地域があると聞く。
とまあ、そのような数字の重なり=”目出たさ”に便乗して、今日から新シリーズを始める事にした。
シリーズのタイトルは、通信使=韓語ではトンシンサと発声する=である。
よって、今日はその初稿であるが、例によって,まず筆者の身近な体験を述べることから始める。
なぜ今日になって通信使などと言う言わば過去の事案を掘り起す事となったか?その出会いの妙を語る事から始めたい。
筆者が約4年前から住む町は、加賀平野の一画に存在する。南の方には、ひときわ白く輝く・高い山「白山=ハクサン」が見える。
水田穀倉地帯の中心にある市街は、白山市=ハクサン・シだが、約7〜8年前に平成の大合併で誕生した。旧の行政団体名は松任=マットウだが、JR駅名にその名を留めている。
いささか長かったが、以上までが前置である。
さて、駅に降り立ち、市庁舎のあるメインの市街地である南に面した駅前広場に立ってみた。その広場の一画に風格のある民家と豪壮な感じのする日本庭園がセットに立っているのを臨む事が出来る。無料解放施設だから、一見を勧めたい。
因に、その住居と庭園は、北前船と土地所有でもって一財を成した家系の持ち物であったそうだ。
その庭にある1つの石碑に、通信使とのやり取りを説明する一文があった。その詳しい紹介は、後日の事として先に進む。
さて、松任と言えば、まず想いだされるのは。加賀の千代女である。
彼女に因む,その名を冠した展示館が、同じ駅前広場の一画に。庭園を共有するような位置取りで存在する。
ここまで長々と述べると、もうお分かりであろうが。千代女と通信使とが重なるのである。
ものごとを浅く、がさつにしか覚えようとしない癖がある筆者は、北陸と通信使との間では、どうしても重なりようが無いと想っていたから、きょとんとして、悪い冗談だろうと想っていた。
ところがである。市営観光施設「千代女館」の前には、長大なモニュメント・ディスプレイがでんと鎮座ましましていた。
石像にして、カラー。絵柄は、あの朝鮮通信使の行列図であった。こっちの方も後日詳述するが、写真を掲げたりは、あえてしない。
がさつな吾が知識からして、あの一行が北陸を通過した事は、只の一度も無い。そもそもルートとして長大・不合理な迂回となるから、あり得ない。
これはどうした事か? 謎だらけである。
通信使の事についての自らの無知を補う必要を感じて、、、腹を据えて探索に着手することとした。
今日はこれまでとします