にっかん考現学No.19 あすかの6

前稿で飛鳥座神社のことを述べたが、最後に書いた3点の事に関するフォロウに入る前に、飛鳥とは何かについて、整理しておきたい。
整理作業とは、多くの賢い人達がやらないこと。つまり、最短距離を誰よりも素早く通り過ぎ、多くの人をなるほどと唸らせる仮説の提示へ。とは反対のダサイ事を、ぐずぐずやる事かもしれない。
誰もやらない事を、チクチクと。出来るだけ手抜きをせず。角かどに来たら、時間をかけて。ゆっくりかっちりと廻る。そんな手順を構想してみた。
さて、今年は、古事記1300年の記念すべき年である。成立についての偽書説のこと、太安万侶の墓が発見されたこと等、いろいろと話題が多い。
それはさておき、本居宣長古事記伝を書いた事が、過大評価の主因であることは、ほぼ疑いが無い。
過大評価なる言葉を使う事は、通説に対する反駁であるから。素人である筆者が、あらゆる説明を尽しても、ただ一人をも説得できそうにないことだが、、、、とりあえず、要点だけを掲げておく事とする。
1、 列島1国を特別な存在と位置づけたい。その過度な愛国の情念が、事実の客観的理解を妨げる。
2、 世に知られている皇国史観は、その例だが。その否定さるべき要素は、下記の3つである。
   a 列島1国を隔絶・孤立の空間域と規定し、東アジアとの相対化や比較・検証を欠くこと
   b 文字で表わされた事の解釈に終始し、考古学や人類学など周辺科学との連携を欠くこと
   c 神話と歴史との境界を設ける事なく、渾然一体と受止めるなど、科学合理性が乏しいこと
3、 皇国史観なる用語そのものは、未だ死語となっていない。それが困った現実である。
   歴史研究とは、すべからく史料を使って現代的理解を展開する事である。
   ヘッドに軍事とか・経済とかの限定修飾語が付いても、「大国」指向を合理化しようとする意図を含むイデオロギー史観もまた、所詮色眼鏡史観の範疇である。
よって、国史、国語、国学、帝国史観、軍国史観などなど。用語はどうあれ、ものの見方の多様性を排除することを前提に置いた科学は、どれだけ精緻を極めても、その考究成果からは客観性に適う結論は得られず、自他を対等に比較する視点を持たない学問に科学合理性は存在しない。
さて、そろそろ古事記と飛鳥の重なりについて、言及することとしよう。
意外であった。重ならないのである。
記・紀と言えば、この国の古代史の基礎文献であり、古事記日本書紀を踏まえないで、古代研究はあり得ない。古事記の中に飛鳥なる地名が出て来ないことなどあり得ない、これは何かの間違いだ。
間違いの探索は、この数日進行中であって、未だ結論に至ってない。
進行中の探索作業とは、岩波古典体系索引(ただし、語句・事項。刊行年月は、1〜66巻対応巻が1964年11月・67〜100巻対応巻が1968年2月)を使って、当該記述個所に当たることだが。今後想定されるステップとして、古事記一巻を読破する覚悟も必要であろう。

日本古典文学大系〈第1〉古事記祝詞 (1958年)

日本古典文学大系〈第1〉古事記祝詞 (1958年)