にっかん考現学No.18 あすかの5

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の訪問印象記を続ける。村落の中心を通り抜ける道路が神社の正面で、ほぼ直角に折れ曲がっている。小さな小川を橋で越えて、鳥居をくぐる。左手に宮司居宅兼社務所らしい建物、入場料徴収の看板が無い事を確かめて、そのまま真正面の階段に取りかかる。
階段の方位は、東高西低。石段が終わると右手に折れ、だらだら登りの道、更に奥の方に石段が見える。その奥の方に建物が見える。舞殿がしつらえてあるのだ。舞殿の正面さらなる高台の上に、豪壮な社殿が南を向いて建っている。内陣に参拝者が居るらしく、祝詞奏上の声が響いてくる。
右の方に広がりが続いているようなので、東の袖の方に進む。回廊状に参詣路らしい外構と見て、進んで行く。なんと、目がおさまる高さの石拵えの棚の上には、露座の石神が多数置いてある。一目で分かるマツタケ石のオンパレード、別名男根石とも言う。あるわ、あるわ、奥まったところに、屋根付きのひときわ大きな自然石やら、摂社が幾つか群がってある。
これでこの山の頂上付近は、ほぼ見て回ったのだが。周囲の山野を俯瞰・眺望する事は、全く果たせなかった。樹木が密生して背が高く、期待倒れであった。
そこで、先ほどの中核たる社殿に戻り、拝礼する事にした。内陣の中心に神宝であろう鏡が飾ってあった。
社殿を始め建物のあちこちに、彫刻が見える。その中心部分にハートの形が作られてあって、斬新であった。ゆっくりと写真を撮る、これから為すべき事の点検を終えた頃、禰宜装束の人物が都合よく歩いて来られた。
遠く北陸からの参詣である事、山形県にある飛鳥神社の勧請の話に疑問を持った経緯などを、まず簡単に述べた。回答は、間違いなく当社から分霊した事実ありとのことであった。
更に突っ込んだが<いつの事か?何か証しになるようなモノ?>、存在しないとの返事だった。
併せて、神社の由来などを色々語ってもらった。とても有難く、貴重な体験であった。
その詳細は、後日一括して紹介するとして、今日は要点のみを述べる事とする。
まず、酒田市平田町飛鳥の飛鳥神社が、社伝どおり大和国飛鳥の地にある飛鳥坐神社から勧請されたことが確認された。
なお、その時期だが、社伝によれば継体天皇の時代のこととか?これはごく一部の刊行物から知ったが、詳論は後日、改めて取上げてみたい。
次に、祭神についてだが。コトシロヌシ&オオナムチの二柱のみが、両社において一致した。
その他大勢の祭神は、食い違っている。筆者の独断と偏見に基づき、両社の間に本末関係の存在を確認した旨断言しておく。
最後。大和国にある神社の宮司の苗字は、飛鳥(あすか)さんであった。
住む所と住人の氏の名とが一致する。これは証しとして第1級のレベルであると考えたい。
今日はこれまでとします