にっかん考現学No.15 あすかの2

直前のNo.14稿が未完成だが、執筆中に取材不足に気がついた事と金環食のタイミングが重なり、急遽再びの草鞋を履いている。
上記は、5月22日の記事であるが、No.14稿は、5月27日に成稿とした。
因に金環日食の観測地は、三重県御浜町に定め。訪問地は、アスカの音に縁のある土地4ヵ所=大阪府奈良県三重県であった。序でに、金環日食の観測は、吾が半生の記憶で初めての体験だが(皆既日食の方は2〜3回見た記憶がある)、前夜来の車中泊の屋根を叩く猛烈な豪雨にもかかわらず、その時だけ雲が切れる僥倖に恵まれ、成果があった。
さて、本論に取りかかろう。
酒田市平田町にある飛鳥神社では、宮司に会うことが出来なかった。
文献によると、神社の創建時期は不明ながら、大和国から勧請したとある。
さて、型通り広辞苑を引いて、勧請の意味を確かめた。
こうある。神仏の分身・分霊を他の地に移してまつること。「まつる」は、漢字で書けば祭る・祀るだが、筆者の理解では意味は殆ど同じである。
次に、分社を受けた元の神社を知りたいと思った。とりあえず文献をもって、当てをつけたかったが、そう容易ではなかった。
大和国(やまとのくに)に、同名の飛鳥神社なる名の神社が見つからなかったのである。
平凡版歴史地名辞書には、飛鳥坐神社<ルビ=あすかにいますじんじゃ>とあり、所在地が、現・高市郡明日香村大字飛鳥とある。
続く掲載記事は膨大、本文中に「飛鳥山口坐神社・飛鳥水分神社」などが見える。
要するに、要素文言を含むが完全一致ではないのである。そこで、見に行く事にした。
多目的にして遠出の旅なので。たまたま文献で知った『近つ飛鳥』・『遠つ飛鳥』の両方をこの際、見ておくことにした。
『近つ飛鳥』に当たる河内国安宿郡については、第14稿で少し触れたが。古代の幹線道路に沿った交通の要衝上にあり、データ過剰<=陵墓・史料人名・史料地名などが盛りだくさん>な有名土地にして、意外な急傾斜の地形であった。
飛鳥川、飛鳥・春日<カスガの音は、アスカに近いか?>・太子なる名を持つ集落、聖徳太子墓・用明/推古/孝徳の3天皇の各陵などもあり、飛鳥戸神社なるものを見つけた。
現地に行ってみて、初めて判る例で。意外なほど、こじんまりした神社であった。
宮司が常駐するたたずまいも無く、鎮守の森を持たない。そんな規模の小社と言う感じであった。
今日はこれまでとします。