にっかん考現学No.13

今日は、5月1日である。
このシリーズは、去る3月1日に第1稿を書き始めたが、第12稿=3月27日をもって中断した。
中断の理由は、書き換えの途中、意欲を失っただけのこと。
未成稿のまま放置してあるが、いずれ気力の回復を俟って,完成させたいものである。
余談だが、意欲を失わせるほどのIT妨害行為とも言うべきことが。
そもそも存在するか? 
どのようにして行われるか?
どうしたら回避できるか?
・・・そのようなことを話題に出来るだけの基礎知識を持たないので、これ以上述べない。
ただ、今後の執筆姿勢として内心忸怩たるものがある。

さて、この1ヶ月強の間、生活人として多事多端であった。
春の到来を受けて、食・住・衣の模様替え、ガーデニング・ファーマーとしての耕地整理、桜探訪を兼ねた取材旅行、友人・知人の相互訪問などなど。それなりに多忙であった。
中から2つ、述べる。
まず、「住」の模様替えだが、例年この時期やることと言えば、暖房機器の撤去と家具の移動など。屋内で済ませるのが、通例だ。今年は4月の上旬に台風クラスの強襲低気圧が、列島を襲った影響を受けた。屋外作業として屋根上の恐怖を味わったが、何にでも自から手を染めるクセは、時に転落の怖さ=重力への再認識を促してくれた。  気候変動は、時にメディアが「爆弾〇〇」とネイミングするほど。大落差のある気圧の乱高下をもたらすようになってしまっている。改めて自然の大きさと人間の浅はかさと小ささを感じた。
もう一つ、取材旅行つまりサクラ探訪先は、岩手県から秋田・山形・新潟の各県に及んだ。
この地域が、この「にっかん考現学」シリーズに縁の深い地域でもあることを、今更ながら強く体感した。
平成元禄なるやや自嘲的な言い方があるが、うわべの繁栄のみに注目すれば。この地は、列島史を通じて『忘れ去られつつある=所謂、地方=辺境地域』であり続け。この30年間(つまり含む、フル平成時代)、過疎化の速度を増している。もちろん人口減少現象すなわちマイナス事象と、単純に考えてはいないが。地区の高齢化や若者の減少が、地域文化の継承・伝播が後退させる不安は大きい。
今日は、ここまで。本稿の中断と再開について、お伝えできれば幸いである。