泉流No.84 彼岸白

* 今朝もまた  雪の舞いたる  彼岸過ぎ
〔駄足〕 世上よく聴かされたコトバに。
暑さ寒さも彼岸過ぎ・・・・があった。
農事暦の一つかもしれない。列島各地を転々として来たので、一つの教えをもって。どこでも通用させるのは危ない事を心得ているものの、さすがに今年はあまりの寒さ続きに。愚痴の一つも言いたい、そんな感じだ。
今朝起きてすぐ、チラと外を覗いたら。庭の端っこの方が、白いのである。昨夕の雨が夜のうちに、雪に変ったものらしい。白いものをみると、一層寒さがぞくっと来るのは。困った学習効果なんだろうか?
〔駄足の蛇足〕 この3日ほど晴れ気味なので、外で仕事の真似を始めた。ファイン・エヴリデイ・ガーデニング・ファーマーである。
自家消費専用の農業として、徹底して原始・労働集約的でもある。周囲の百姓?仲間からは、耕耘機を貸してやるぞと、声がかかるが。原始農業に耕耘機も内燃機関も無いとの思い込み?で、断わり続けて来た。
相当な変わり者と、見られているであろうが。実は、不耕起法こそが、究極の省エネにして環境適合の農法である。とこれもまた、自己流の思い込みである。
耕地をひっくり返すと、二酸化炭素が出るらしいのである。だから、原則として、タネか苗かを植付ける時に。必要最小面積を掘起こすのみで、畝は数年放置状態が理想なのだと考えている。
周囲の農業者は、やれ土づくりとか、化成肥料とか、目新しい事を聞かせるが。原始時代に無かったものは、使わない姿勢でいる。
農業は、基本的に寄生行為なのだから、、、、、
人に土など作る能力などはない。
植物は勝手に育つのであり、人の意思は通じない。
出来た野菜は自然生成物。運ばないし金に換えない。
その結果として、自産而消(=地産地消を踏まえ、より狭域でもある自家消費のこと)
身土不二  一里四方  にも通ずる