にっかん考現学No.8

1日から始まった新シリーズの8日目・第8稿である。
前稿で書いたことを繰返す。
フクシマに限らずだが、この国の原発はすべてアメリカから押付けられたものだ。と決めつけた。
この国の困ったものの考え方が、如実に露呈した結果。原発は、据付けられ・稼働し始め・システムの代価が国外に持ち去られた。それは大部分が巧妙に隠されているが、客観的な外観事実である。
世界唯一の被爆国である列島に、かくも大量の原発が林立することが。果たして、何故かくもたやすく実現したのであろうか?
その背景を幾つか掲げてみよう。
1、戦後の報道統制が、ヒロシマナガサキ原子爆弾がもたらした生命維持への悪影響、後遺症など開示さるべき医学的に解明された成果を覆い隠した。
2、核分裂反応の平和利用なる美名キャンペーンとでっち上げられた安全神話が、本来行わるべき科学的アプローチと科学者による国民向けの情報開示を妨げた。
3、同じ事情で、国民が原発受容を課題として認識し、正しく対処する機会を奪った。
4、エネルギー源としての核分裂反応は、軍用兵器として瞬時に一挙に放出させるならまだしも。民生エネルギーシステムにふさわしくない。
着火も消化も難しく、出力調整しにくい。
つまり、商業電源にふさわしくない厄介もの。
夜間電力を割安にする制度こそが、原子力発電に内在する調整困難性を反映している。
5、戦後久しくこの国のリーダー役を果した政治家も行政官僚も共に国益を貫き通す見識を欠いていた。
自己保身による延命策にのみ執着し、敗戦に次ぐ国難と言うべき原発への対処を誤った。
アメリカが押付を強行するだけの論理的合理性は無かった。
無条件降伏は連合国に対してであって、連合国の一員でしかないアメリカに対してではない。
不合理な押付に立ち向かうことをせず、徹底的に国を破滅させる原発への道を拓く=最愚策の方を採った。
6、近現代の外交では、勝敗にかかわらず休戦後の当事国相互の関係は対等である。
がしかし、この国の国民感情に、そのような突抜けた合理性を備えた思潮があったか? 
敗者として、過度に必要以上に卑屈な立場を自らに課したツケが今日の事態=国が事実上破綻に瀕している。を招いたと言えよう。
7、原発が立地する地形として、フクシマは例外である。戦前軍用飛行場であったと言うから、平坦にして極めて広大だ。
そのため、複数個の原発が集中設置されたと言えよう。あらゆる点において、場当たり、軽率な地域選定以外の何ものでもない。
しかも、最も古いタイプ=初期開発型の原子炉が導入された。そこにこそ、国としての自存を破滅させてやろうと画策したアメリカの悪意が窺える。
8、フクシマ原発以外は、海に臨み山岳に囲まれた、僻地つまり人里離れた孤立地形地を選んで、建設されている。
この選択に、やっとこの国の当時の政官界が工夫らしき事をした形跡が窺える。
しかし、それはあまりにヒロシマナガサキでの”ピカドン”の恐怖にのみ備えたに過ぎない。臨海地区でまず備えるべき津波への配慮を欠いている。
ここにも、この国始まって以来の、場当たり・先送り・いい頃加減で手を打つ式のモノゴトやっつけ=悪しきルールが露呈している。
9、原発受容の1960年代において、その当時その程度の科学知識しか持合わせず。安全神話のみが、独り歩きし続けて今日に至ったわけだが。
この国の国民性の一つに、過去を掘り起こすなとの戒めがある。
過ぎた事は過ぎた事として、丸呑みしろ。
安全と言われて、建設工事が始まったら。もう蒸し返すんじゃない、、、、、?
過ぎた事を蒸し返すような振舞を、内容の如何を論ずる前に、むしろ蒸し返す事自体を犯罪視するムードがある。
以上9つ列挙したが、果たして妥当しているか?
今から改めるべき事はないだろうか?
今日はこれまでとします