にっかん考現学No.7

1日から始めた新シリーズの7日目・第7稿である。
既に2年目に入ったが、3.11の人災の爪痕は、アト30年かかるのか?否、この地球=生物生命圏にそぐわない、核エネルギーなる仕組に突っ込んでいる以上、地球時間で決着をみるには、宇宙時間でのオーダーである最低でも1万年はかかるとする見解もある。
なぜ、そのような危険にして、しかもコントロール不能なシステムを導入したのだろうか?
その背景を考察することは、重要な決定過程を記録し、後世の検証に備える歴史文書観念を持たないで来た、ある意味、歴史認識なる国民性を共有しない、この国の国権事情を勘案すると、とても難しい気がする。
当該フクシマ原発の所有・管理者である東電が、徹底して当事者認識を発揮しない事実があるが、このことは何を物語るのであろうか?
次に、あの愛されたケネディ次期大統領の前で、前任者として立会ったアイゼンハワーの退任演説<1961年1月>を思い出す。
第2次大戦欧州戦線における最高司令官の後、大統領に転じて2期8年を勤め、言わば一生に軍人と文民双方の最高位者として2世を生きた成功者の言葉としては、ある意味異例であり、真の意味で社会に警鐘を告げ、彼の誠実さを示す、格調ある演説であった。
彼が示唆したものは、軍産複合体(Military-industrial complex)の存在だが、彼の指摘した彼の国の病巣腐根は、その後も縮小するどころか、一層肥大の一途を遂げた。テキサス圏に縁のある歴代大統領は、おしなべて彼等=”死の商人”グループの代理人と呼ばれても仕方ないであろう。
フクシマ原発、日本最初の原子力発電所が建設着工されたのは1967年9月だが、当時から今日まで続く「NOと言えない日米関係」を思うと、この大事業の背景にUSA官民一体による軍産複合体の押付けがあったことは明らかである。
もちろん、これは形式上の外観主義で論ずる戦後史の視界でもなければ、解釈でもない。事実関係と実態認識に立っての歴史理解であることを明言しておく。
フクシマ原発は押付られた壮大なボロ儲け民営ビジネスだったのである。利得者はUSAの軍産複合体=”死の商人”グループであり、カネを貢がされたのは世界一高額の電気料金を黙って負担し続ける日本国民である。
時間軸は少し転倒するが、フクシマ原発押付が成立した背景に、第二次世界大戦の敗戦と不名誉極まる無条件降伏とミズーリ体制がある。
フクシマ原発人災は、大敗戦の形を変えた後続第エックス・ラウンドなのである。
これも歴史の形式外観に拘って厳密に記述すれば、敗戦後の日本に駐留し、占領統治したのは連合国軍であるし、占領期間も1946年9月02日(戦艦ミズーリ艦上での休戦協定調印)〜 1952年04月28日(サンフランシスコ講和条約発効)までである。
だが、そのような実体が無い建前のことを、真に受ける常識人は皆無であろう。連合国軍はアメリカ軍と読み替えるべきであり、オキュパイド・ジャパンなる言葉は消えても。米国による日本支配は、今日只今も水面下で厳然たる事実として続いているのである。
水面下に隠されている実体を見抜く史観を保ち、現代から遡って過去の事実を発掘する考究作業のことを考現学と言う。
読者の皆さんが、それぞれの五感と頭脳を駆使して、考現学に勤しむことを望むものである。
今日はこれまでとします