にっかん考現学No.2

今月1日に始めた新シリーズの2日目・第2稿である。
今日も3.11の事を書く、間もなく1年だが。我身に照らせば、あくまでも間接的立場でしかなく、事実上無被害だが、心が落着かない。
うまく言葉にならないが、沖縄基地と原発汚染とは、全く同じ構造であり、なんともやり切れない。
眼の前を米兵がうろちょろすることも、軍用機が凄まじい騒音を轟かして離発着することもないが。それは実体験が乏しいだけの事で、沖縄人の尊厳や日々の快適性が損なわれている状態を想像するだに落着かないし、腹立たしい。
放射能汚染もまた、収束宣言や帰村宣言を奇異に思うばかりである。これまで隠されて来た事が、情報公開され・暴露され、本格的に明るみになるのもこれからであると考えている。
さりながら、我々は、なんと情けない国に生まれ育った事であろうか?
3.11は、要約すれば、第2の敗戦とでも言えようか?
”いくさ”なる表字がふさわしくないとしたら、昭和に次ぐ、平成の亡国とでも喚ぼうか、、、、
とにかく、そんな暗澹たる気分に陥る。
メディアによれば、フクシマの3つの原発建家からは、連日1千万ベクレル超規模の放射能が、只今現在も垂れ流しされているそうだ。
そして、廃炉のアクションプランも全くこれから立案されるそうで、今後最低30年程度の超長期事業が見込まれるとか。
財政破綻状態で、どうやって事業資金を捻り出すのであろうか?
その絶望さ加減が、平成の亡国=第2の亡国以外の何ものでもない。
だからと言って、ここで責任追及を打開策をどうこう論じたいとは想わない。
あげて、我身に照らして、そこに至った背景なり原因なりを、展開したいのである。
題して、ニッカン考現学だが、ニッカンを漢字で書くと、日・韓となる。
韓とは、列島の隣に位置する韓半島を指している。
その南半分を大韓民国と言う。
ほぼ1年前、原発の意図せぬ爆発事故を回避するため、東電が原子炉内部の高圧気体をベントした際、国は外交ルートを通じて事前通告することを怠った。
そのため、同国から日本は抗議された。
だが事実は、その時以来現在も休むことなく、ベントなる意思ある排気措置ではないものの、暴走状態を制御できないが故に、放射能を大気中に垂れ流している。
垂れ流しとは、隣国はより深刻だが。全世界の人民に対して、毒ガスを送り続ける事実を踏まえ、排出国民の一員としての申し訳ないと想う気持のありようを指す。
痛みにおいては、自己も他者も区別はない。
我々は、被害者意識は声高々だが。加害に対しては、無神経を装ったり図太く立回るのではないだろうか?
そのように体を翻すような生き方。我身だけは、言い出しっぺにならないような生き方。
それを器用とする見方もあろうが、傍から見れば、無様としか言いようがないのではなかろうか。
原発事故を招いた真の原因こそ、そこにあったのではないか?
第2の亡国の原因は、そのような処置能力しか備えない行政府を、見逃して来た我々の責任であり。当事者能力を自覚しない東電に対して、ぬくぬく出来るように監視の眼差しを養わずに来た我々の責任でもあるのだ。
まだある。
第2の亡国の最大要因は、8.15=つまり第1の亡国の中にあった。
今日はこれまでとします