生泉流No.7 人生

* 想わずに  世にはばかりぬ  四十年
    地獄極楽   いずちなるかな
〔駄足〕 明日から3月、今日は29なる稀日だから?
あまり作らない”三十一文字”となってしまった?
この2日、当地は晴天続きだが、春到来のご挨拶なのか?冬将軍の方は、関東圏に対して御いとまごいを、懇切にやっているらしい。
あの地の豪雪と言うと、天変地異か?はしらないが。2・26事件は雪の中であったそうだ。もちろん生まれてない。
今日も何事も起らないであろうが、2・29事件にならないことを祈りたい。ただ、大災害に原発事故に、東電と政府の無策ぶりが、明らかになると、、、、何事にも、黙って見逃す、この国民性が動き出さない事も無いかな。と、ちらとおもう。
さて、句の意だが、四十年だけは、御断わりしておきたい。25歳までは、良いこともあるのが人生で。戦争終って後の最初の四半世紀は、まあ存在を許された青春の25年で、そのアトの四十年は、自他ともに憚っただけ。さしたる意義の乏しい期間だったとするものである。
シモ2句は、近未来のことを想定しているコーナーだが、果たして地獄極楽のどっちに傾くかは、まだ読み通せない。最終コーナーだから、自らは見極めをする時間も無く、慌ただしく、流れ星のごとき顛末となるかもしれない?
〔駄足の蛇足〕 明日から3月、あの日から間もなく1年となる。この1年ほど、21世紀をどう生きるべきか?
考え直し、改める着手点を探る日々でもあった。
原発の失敗は、大きな物語にひたすら邁進し続けた事へ、反省を促すキッカケとなるべき、大きな転換点となった。
こと日本に限れば、人口減少・経済の曲がり角など。はっきりとスロウ・ダウン。ダウン・サイジングへと向うべきことを指し示している。
それが即ち、”小さな物語”へ取掛かる第1歩となろう。
未だ見通せない道筋だが、必ずしも幻滅しか無い道でもないだろう。パイが小さくなるよりも、分け前に与る頭数の方が、先行して減るとすれば、一人当たりのパイは、大きくなる筈なのだから・・・・