泉流No.79 春はまだ

* 花桃は  まだ蕾かも  春よ来よ
〔駄足〕 今日確定申告が、やっと終った。
少し嵩張る袋を持って外出した。領収書などを添えて郵送するのだ。
文字で書けば確定申告だが、内実はブログで制作物を公開することが主な事業だから、確定の遥かはるか手前でしかない。
1年に1回没頭する大仕事、何ら確定的知識も経験も無い。おそるおそる紐解くような経理の真似事=名付けて百姓経理だが=、お笑いタネでしかない。
投下時間は3週間ほど続いた。今年は、雪掻きが例年になく多忙かつ多出動だったから、手間取った?
ところどころで肉体労働を挟むので、適度に発散し気分転換できたようでもある。
句の意だが、、、先日どこかで、モモの花を見かけた。殆ど蕾であった。
郵便局の行き帰り、雨も無く雪も落ちて来ない。それだけで、もう気分は春。
そんな自分に気がついた。
〔駄足の蛇足〕 希望と気分はさておき、3月に入るともう1回くらい冬将軍のお目見えがあるらしい。
この冬は、もう既に十分の量の降雪だ。
原発稼働の全面停止分を十分カバーするくらい水力発電の元が、山中に蓄積貯蔵されたようだが、この国の行政の体たらくだから、果たしてどうなることやら?
さて、確定申告だが、本格的に取組むのは、この4〜5年のこと。
それでも、この作業を通じて、自分は間違いなくこの国の主なのだと実感を持つようになった。
たとえ1億25百万分の1でしかなくとも・・・・
その前の38年間は、所謂国の期待に応えるだけで、何らの主体的ガヴァナンスを持たない「ぼんくら領民」でしかなかった。
現役世代とも、生産年齢層とも、呼ばれ。税を徴られる<はたられる>だけの無脳人間だった。
その頃は、現在の何倍もの高額納税者にして、しかも、存在観を欠く空気のような存在であった。
ぼんくら、無脳、空気、領民などの口汚い言葉は、説明を要しないと思うが、宮崎アニメ流に言えば、”コバン?配りの・顔なし”になるだろうか、、、、
このような情けない状態を醸成した原因なり、背景なりの最たるものは、この国の税の徴収方法にある。
現行の源泉徴収制は、この国ではたしかに70年超の歴史を重ね、疑いの余地の無い既得的存在または、今や常識と化している面がある。
だが、決して税のスタイルとして常態でもないし、世界的にもイレギュラーである。
その昔中国戦線が泥沼化して戦争へ傾斜する過程で、軍事的強圧をもって強行立法された臨時的措置に過ぎない。
そんなこと知ってるよ、
あそう。君こそ立上がり、声に出してもらいたい。
税を給料から天引する、今や当り前のように思っている税制こそが、この国の行政界の最高最大の汚辱である。そうは思わないかい?
その一時的・緊急避難的徴税システムが、戦争終結して平和な国に転換した筈の後、65年超も死なずに生き続けるところに、この国の非民主的・反近代性がある。実に情けない。
この国は、未だ従属するだけで、もの言わない、屁のような。領土の上にただ住むだけの国民以前の領民。
さもなくば、君主か天界役人かに所有され・自らは意思も無く・発言もせず、ひたすら徴られる続ける”臣属民”でしかない。と言えよう
さあ、源泉徴収制を廃棄して、明確な意思をもって政治や社会に参加し、発言する。
全うな市民としての政治責任を果たす。そんな民主的かつ近代合理性を備えた市民社会を構築しましようよ。