泉流No.76 温泉浴

* ふり仰ぐ  顔に落ちくる  雪の華
〔駄足〕 一年で最も寒さが厳しい頃である。
眼の前は、田んぼだが。一面の雪の原で、空もどんよりと重苦しい。降っても降らなくても、さして見透しも変わらないし。暗く、もの苦しい日々ばかりだ。
さて、句の意だが、日本は、災害列島であるからこそ、温泉と言う見返りもまたあるのだ。
地学の仕組で言えば、日本海溝に太平洋の海底プレートが沈み込むので、ちょうどいい位置に日本列島なる陸地が形成され、その島には温泉があるのだと言う。
さすれば、地震と温泉とは、ワンセットと言うことになる。
理屈はそれくらいにして、もの寂しく、背中が薄ら寒いと思う日は、温泉に行って、気分転換を図るベしである。
とにかく、時間を忘れて。心ゆくまで、温まる。
幾種類かある風呂には、合間を図りながら、順次に回遊しつつ、漏れなく、全部入ることにしよう。
仕上げは、露天風呂である。雨の日や雪降りの日は、ほとんど貸切風呂である。何を物好きに、、、、、
そう、なんとなく、大らかな気分になり、やおら頭上を見上げる。そこが一番視線最長の、従って、最大視野?にして、目を酷使しないポジションなのだと。そう想い込んでいるフシがある。
その日その時は、たまたま、ちらちらと雪が落ちてくるのであった。
そして思う事は、この程度なら、雪掻きはしなくて良さそうなんだがな・・・・
〔駄足の蛇足〕 空から落ちてくる、雪の花びらは、天から送られた手紙である。
これは、その昔。教科書に出て来た、文章の一節であった。と記憶する。
寒冷地での気象観測は、地球環境の激変など、近年のドラスティックな気候変動との関わりから、広く世に知られる時代となったが。
何故か、この極地観測の分野では、日本はパイオニアの位置を着実にキープして来ているらしい。
雪片を観測対象にすると言う、コロンブスの卵にも等しい、着眼をした。先の科学エッセーの筆者=中谷宇吉郎は、近隣加賀市の出身で、ゆかりの地に、彼の名を冠した記念館がある。
もし、その地が、氷河期における日本列島の氷河分布域の南限であったとすれば、不思議な符合であることになる。
「ハクサン○○」なる名の高山植物が、かなりの数あるらしい。それもまた、白山の立ち位置が、氷河期を通じて、格別であったせいか?もしくは、登山家深田久弥と関わりからかもしれない。
中谷宇吉郎の日常にも、そして深田久弥の朝夕の景観の中にも、加賀の白山の遠い峰は存在していたに違いない