泉流No.75 納税申告

* 働いて  はたられてそりゃ  しんこくだ
〔駄足〕 働かざる者は食うべからず
これは一面の真理だが、他方で、働く事を見極める事自体とても奥深く難しいものがある。
仕事をする事=働きと、単純に決め難いものがあるからだ。
人が就かない・就きたがらない仕事は、賃金が高いのは、想定上の道理だが、現実はそうなってない。
肉体的にきつかったり、危険性が高い仕事は、賃金が高そうだが、これもまた実際そう言えない例もある。
それだけ現代の社会は、複雑にしてかつ歪んでしまっている。
この国を代表するような知名度の高い企業が、深刻な経営不振に陥っている。背景には、3.11大地震・大津波の災害に、タイランドでの洪水に、思わぬ円高基調に、欧州金融危機などが重なるなど。非常に先行きが読み難い状況である。
国際収支の赤字幅も輸出不振の規模も、かつてない程に大きく、しかも長期化の様相である。
長期構造的に食糧自給度もエネルギー自給度も、極端に低く。しかも、打開策も改善努力も掲げないまま放置して来ている。
起きつつある外貨不足の事態が、近視野のうちに入って来た。とても不安である。
大きな物語にこじつける資本主義。特有の金銭評価原則での効率ドクトリン。スケール・メリット一辺倒の拡大至高イズムは、もう見直されるべきだ。
さて、句の意だが
スモール・シンプル・ワールドにおいて働らく事とは、自らの口に入る食糧を、自然界に向って、直接的に労働力を投下し、現物としてゲットする事である。
ここの直接とは、カネを払わずに入手する事である。
はたられるを、漢字で書くと「徴られる」である。
そう徴税のことである。これは法冷語である。
2月は、申告の季節である。
この言葉を聞くと、身体が燃え、血圧が上がる。
「しんこく」と書く意味は、もちろん申告と深刻とを掛けているからである。この言葉の両義性にこそ、この国の戦後史の欺瞞が表出している。
〔駄足の蛇足〕
両義性と欺瞞の繋がりをうまく説明して、果たして説得性を保てるであろうか?いささか不安である。
この国には、公法と私法と言う2大法体系があって。互いに大きく、法の働かせ方つまり規範力の運用ルールが異なっており、まるで水と油であるらしい。
ぼわーっと要約すれば、前者は強制ワールド、後者は自由契約ワールド、と言えよう。
”税を徴る”=強制徴収つまり前者ワールド・・・深刻
確定申告=自主的納税つまり後者ワールド
とまあ、一応並列表記してみるが、現実の法社会には強制法規集ばかりしかない。
だから、申告なる言葉も納税なる言葉も。ただのまやかし、ソフトなイメージの語句を看板に掲げているだけの言葉アソビでしかない。
税の世界に、人権の入り込む余地は皆無である。
戦後は憲法だけが民主的な仮面を付けたが、憲法のすぐ下にある個別の法規は、ことごとく戦前をそのまま引継いでいる。
法令の文字表現のみを、文語から口語に体裁を替えただけでしかない。
行政の現場は、君主制時代がそのまま連続しており、未だ明治なのである。
そうそう、両義と欺瞞はまだある。
公益事業。水・ガス・電力など生活基本関連事業体。これがまったく、鵺(ヌエ)かコウモリの存在である。
3.11以来諸悪の根源となりつつある東電などは、一応株式会社だから建前自由ワールドに属する企業体だが、それは外形だけのことで。限りなく強制ワールドに擦り寄り、法の力を借りて。排他的市場の中で独占的に事業を行い、ぬくぬく楽々と生きている。
その官僚的性格は、3.11以後に露呈・発覚著しいが、戦後を通じて60年超も、身についた体臭だから急に改まるまい。
戦争責任も社会保険庁解体も、東電の先例リハーサルと思えば、これまでもこれからも、何があっても何も変わる事も・変える事も、出来ない。
そんな圏域の中にどっぷり浸かって、これからもぬくぬく楽々の役人天国は続くに違いない。