泉流No.71 けじめ

* 十月過ぐ  この列島の  沈み行く
〔駄足〕 暦の上では春になり、冬のもっとも厳しい時季は過ぎたと言えるが、3.11の被災地を思うと、胸ふさがるばかりだ。
地震津波、加えて原発からの放射能被爆、更にこのところの大寒波が追い打ちをかける。
大寒波の背景には、バレンツ海の温暖化があると、メディアは報じている。おそらく原因は、一つとは限るまい。
太陽黒点活動の減退を、仮にマウンダー極小期の再来にして、その始まりと考えるべきではないだろうか?
さて句の意。
十月<とつきと詠む>はとうに過ぎた。
2月に入ったから十月どころか、1年目がすぐそこに迫っている。
しかも、この間、日本列島は沈みっぱなしだ。
徒らに時間のみ過ぎ、打開策も原因分析と再発防止の措置指針も、明示されない。
3.11以来、日々刻々沈没の度を深めて行くばかり。一向に、沈む行く速度を緩めようとか、押し止めようとする意欲も措置も全く見えない。
地球市民に対して、負っている放射能漏洩阻止対策。それすら、全く説明責任が果されず、対応措置もまた行われてない。
この国は、このまま沈みっ放しの『ケジメのない』圏域になってしまうのだろうか?
〔駄足の蛇足〕
ところが、驚く事はまだある。
最近になって、事故原発ゼロ・ポイントから20キロ圏付近に位置する町村から、退避中の旧住民に対して「帰村宣言」が出されたと聞いた。
耳を疑うばかりの非常識である。
メルト・スルーして核燃料の所在と性状についての把握が出来ず、従って廃炉に向けてのアクション・プランすら作成できない状況下で、帰村してくれとは、何たる不見識であろうか?
当該町村もさることながら。国民を守るべき立場にある国や害毒発生源を所有する当事者である東電サイドから、何らのリアクションが無い。
これまた不気味である。
不気味と言う表現が適切かどうか?は置くとして。要するに3者3様、正気の対応とは思えない。
鎮火していない火事場に、
あえて飛び込もうとする者。
それを見て見ぬふりする者。
止める素振りすらしない火元責任者。
当事者の3者3様、いずれも『ケジメがない』のだから、これ以上言うべき事は無い。
閑話休題 ゆきがかりで流れる。
66年前の出来事に想いが跳ぶ。
大戦は、100%の人災だが、人間宣言一本でもって、アトが全く続かなかった。
以来、無責任や言行不一致が横行する=不道徳圏域になってしまった。
それを受けているから、挙国キャンペーンも「けいざい大国」オンリーだから、カネ一辺倒まみれで満足しているのであろう。
それではいけない。と思う。いつかは道徳に立返り、マトモな人間に戻りたいものである。
ところが、1億総健忘症候群だから、反論めいたものが出されることもある。例えば、”極東軍事裁判でケジメをつけた”とする発言だ。
果たして、それで”済んでいる”と言えるだろうか?
極東軍事裁判は、他の立場から我に対して、なされた責任追究でしかない。
我の行いに対して、我自らの責任追究が必要である。皆一律に同じ重さである筈がない。
税金を食む立場に居て、出来事に立会い処置した者は、そうでない立場の者より、担うべき責めも、それが良い結果である場合の論功行賞も、明らかに重い筈だ。
だからこそ、税金を食む立場の者の行動については、すべからく公的記録が備わらなければならない。
まずもって記録がある事、それが『ケジメの始まり』である。
君主時代の”司馬の家”は不要であるが、その昔、映画『日本の一番長い日』において描かれた、書類焼却を意味する市ヶ谷に立つ黒い煙は、中国文化圏では異例の光景でもあった。
その悪しき風習は、3.11以降も再燃・持続していると言う。これまた『ケジメの無さ』である。
”臭いモノに蓋を” ”勝てば官軍・・・” これなどもまた『ケジメの無さ』の1丁目1番地だ。
近現代の民主圏域で公開される記録は、未来から現在を見通す”カガミ”なのである