泉流No.68 信濃の空

* シナのなる  さなだの空に  雲踊る
〔駄足〕 シナの木は、信濃人の話を聞いて、暫らくの間、あちこちを訪ね歩いた。
とかく、都会から地域にポッと出て来た?俄か田舎住い人は、真に受けるのか、それとも私が間抜けなのか、その両方なのか?それなりに時間をかけて、ガソリン関連業界のGDPを押上げたことがあった。
そしてある時、地元の賢人夫妻にその話をした。
笑っていた。
信濃の国は、日本列島より広いのよ、、、
シナの木なんて、ジャックと豆の木なんか問題にならない大きさでね、間もなく見つかることよ、、、、
やっと、真相が判った。要するに鈍いと担がれることがあるらしい。10年も前に実際にあったことだ、記念の意味でもないが、この句はその時に詠んだ。
青いバックに、白い雲がある。晴れた空は、他に何もいらない。雲を眺める暮らしが最高である。
人は常に無いものを求める、それが人だ。と思う。
〔駄足の蛇足〕
シナの木が、国名信濃の謂れであろう。大木の樹皮から取り出す繊維は、現代ではもう忘れられた存在と言ってよいだろう。
シナ製のマリーン・ロープは、おそらく最後の用途領域だったであろうが、これも相当の昔、マニラ麻に取って代わられたようである。
捜せば、新潟・山形県の境界付近にシナ布の製作者がいるのであった。製法・販売において、既に工芸品のレベルである。
そして、おそらく焼畑農耕と重なるであろう。
加賀平野に住んでみたが、晴れれば山頂を仰ぐ白山。その山麓にもう、火の田の民はいないらしい。
火と田とを組合わせて1文字にすれば、畑であり。
雑木の山を焼いた後は、一面に灰が残り白い。これも白と田とで、畠1文字だ。
現場軽視の都会居住の自然愛好家は、山に火を入れて耕地にする事を地球環境破壊の極みだ。と言いながら、ペットを飼っている。言行不一致そのものだが、当人は気がついていない。
熱帯自然林を焼き払う大規模農業と、生業規模にして循環利用を長期計画の下で行う焼畑農耕とをゴッチャにする無神経さに驚くが、人の口に戸を立てるは実に難しい