泉流No.58 ハサミ

* 見つけたり  バナナにハサミを  使うよう
〔駄足〕
大発見と騒ぐことを、この際許してもらおうとは思わない。恥の文化圏は突出して見える行いを咎める社会だから、アルキメデス型は、かつてもそうだったように、日本では今後も、現れないであろう。
アルキメデスは、勢いよく風呂に入り、溢れ出る湯を見て、懸案だった比重の解を思いついたと言う。
風呂から今度も勢いよく出て、そのまま街中を走って行ったそうだから、はしたないとばかりに、村八分にあいそうなものだが、、、しかし、それが元でか? ブレークスルーと言うようになった。
?う? お呼びでなかった・・・・
このようなストレートの行動で恥をかきやすい人は、端に座らされる。そこが定位置だ。名画『最後の審判』にあるとおり、スタンド?・ポイントは重要だが、とかく若造は軽視されるか無視されやすい。
たしかに、列島の立ち?位置も、極端に東の「ハジ」っこである。極東か? 端東か?
さて、句の意だが、賞味期限を過ごしてしまったバナナ房から1本だけ食べた。手で千切ってから残り房を元に戻した。
それで、残り全てがダメになってしまった。こんな場合は、手ではなくハサミを使ってパチンと切離す必要があると知った。
パチンの法則でも良いが、この国に古くから格言めいた名文句?「何とかとハサミは使いよう」をもじって、表記のようになりました。
〔駄足の蛇足〕
昔と異なり、平成の世のバナナは安い。
病院見舞の品として、栄養価と言い、ハンドリングの容易さと言い、ベストだと思う。
信念として揺るがないが、パートナーからは、恥ずかしいからよしなさいと、度々言われる。
メロンのどこがよいのだろうか?
値段は高いし、ナイフと皿とスプーンが要る。そんなハンドリングの悪いものをどうする?
病院じゃ特に手に入りにくい道具だぞ。
いいの、いいの。と、、、よく判らないまま、放り出される。
オラはつくづく、ニッポンジンになれそうにない。
まあ手短かに言えば、メロンは座りよし。
バナナは”スワリ”が悪い。とまあそんなことらしい。
経済学のイヤミ氏は、=列島じゃあーねぇ。単価の低いのは、流通に載らんからナ=とまあ、含蓄があるのかないのか、よう判らん事を言う。
端っこに居ることに徹して来た人だけに、判る人だけ判ればヨカのコンニャク問答らしい。
ところで、座りの悪いバナナは、台付の鉤の手=フックにぶら下がる。モンキィー・スタンドそのもの
シュガースポットが食べ頃の目安だが、皮を剥いただけで食べられる。ナイフ・皿・スプーンが全く要らない。どこででも容易に食べられ、しかも栄養バランスが良い。
ここでまた、横やりが入る。
病院にもって行くバナナは、家族の守備範囲だと。
そうか、入院は、現代では国の財政疾患に直結する公やけ事だから、栄養のある食べ物は、隠しながら運び込むんだナ。とオラは思った。アブナい アブナイ
現代の入院は、神に限りなく近くなるステップだから、見舞の食品は、神棚に並べて見せるだけの飾り物。よって、神に近い存在=当人の口には入らないのだ。
やっぱり端っこに居ることにしよう。