わたくし的21世紀予知試論・第15稿

このシリーズは、今日をもって終ることとしたい。
今年起った世紀的大変革を予知させる3つの出来事。
 3.11  大地震・大津波。 原発トラブル
10.20  新刊書籍 ラーメンと愛国 売出す
11.27  「都」構想の大坂ダブル選挙 支持多数
こうして3つの予知現象をあらためて掲げ、この3者を1つの共通ワードで絞れないかと暫らく考えた。いささか長いが、想い至ったことは以下のとおり。
およそイノヴェーションとパラダイムは、それぞれ独立して起る変化だが、10〜20年経過するとリスポンスが進み社会に変革を迫ることになる。
他方、現実の社会が法律家に牛耳られ、窮屈一点張り、風通し悪く、若い人の提言に対して過度に閉鎖的な風潮だと、時代錯誤に陥りやすい。
21世紀を開くキィワードは、この国の場合、虚心坦懐な話し合いによる合意形成をどう構築するかにある。
そして、次に思いついたそれは、若い人に働く場の開放をである。開放性ある働き場とは、転職が容易、多様な体験を奨励する、社会のありようである。
実現策如何に?食糧自給率向上・農地再配分・光合成の再評価、つまり『若者よ農業をせよ』である。
ところで、東日本3月以来の放射能漏洩だが。何故今頃になって産米出荷を差止めよと騒ぐことになるのか?春耕が始まる前の措置であれば、少なくとも無駄働らきも、放出企業の被害補償額を加算させる愚も、回避できた筈である。
縦割り・無責任・徒労の極みに驚ろく。アホらしさが次々と起る国情に唖然とする。
中央政官もアホだが、農家もまた農家だ。これで果たして自作農?自立した事業者と言えようか?
農業事情=齢・明治143歳を振返ると、酷い仕打ちに尽きる感がある。まさに農民哀史である。
先に出た自作農とは、農地の所有と耕作が一致する農家を言うが、1947〜50年GHQの指令により、不在地主(農地の所有主が村外に居住)の貸付地を国が強制買い上げした後、村内小作人に売り渡された。
全国で3年間実施された自作農創設事業は、農地解放とも呼ばれ、歴史教科書にも出てくる大事業だ。民主化政策と解する向きあるも、いささか短絡的観相だ。
今日的評価は多様だ。皮肉な見方をすれば、農民哀史の第2ラウンドであった。
一説に農民哀史最初の波は、1873(明治6)年の地租改正であったと。作物納税から金納制への移行が、農家に打撃とする見方だ。実はより深刻な打撃が別にあった。働き手の若い男を軍役に採上げる近隣侵攻好戦策だ。1945年の敗戦までの僅か72年間で、大地主が急増し、貧富隔差が一挙に拡大した。
この事を踏まえた戦後の自作農創設事業を民主化政策=農地解放と呼ぶ立場がある。森のみ見て木に目をつぶるような粗忽さである。
3年間で国が強制買上した農地の総面積は1,987千ヘクタール、事業前自作農の概数が284万戸、事業終末年のそれが541万戸であった。純増自作農数257万戸をもって事業面積を割算すると純増農業者1人当たりの平均取得農地面積が得られる。答は0.77ヘクタール(7,700㎡、換算約2343坪)に過ぎない<ただし、当該創設自作農が以前に自己保有地を全く持たないと措定してのこと>。
これだけの農地面積で自作農として専業経営が成立つことは事実なかった。平成になっても、農家は娘を農家に嫁がせないし、農家に嫁は来ない、事実そうである。よって、戦後の農地解放は、農民哀史第2ラウンドと言うべきであろう。
冒頭の予告に反しますが、紙数超過につき後半を明日に繰越します。