わたくし的21世紀予知試論・第2稿

昨日から始めた新シリーズの第2稿を述べる。
初稿で掲げた予知現象は3つ。その最初のテーマ
○ 3月11日の大地震・大津波原発トラブル
についての詳論だが、今日はその続きである。
予知現象とは、ある出来事が、次の時代を大きく変革させる端緒となった事象・事件を指す。従って、何が最初の第1波であったかは、後日歴史的回顧の過程で、指摘され確定する。
昨日は、前半の大地震・大津波までを取上げ。千年スケールの天災である旨を略述した。
今日はその後段だが、原発トラブル所謂人災の持つ意味と将来展望について述べる。
まず人災である由縁を型通り述べよう。自然放射能は、1896年 A.H.ベクレル(1852〜1908。フランス物理学、1903ノーベル物理学賞受賞)により発見された。
因みに、メディア報道で耳にする放射能の国際単位ベクレルBqは、彼の業績に因む。
彼が発見し、同時代の科学者キュリー夫妻が解明して報告するまで、人類は放射能の存在すら知らなかった。
あらゆる物質を構成する元素、その最小単位である原子は、普遍の存在。その常識が、それまでの人類が共有する不動の科学知見であった。
放射能は、原子核が分裂する際に放たれる強力なエネルギーで、当該元素原子は、エネルギー放射した後、別の元素に変わってしまう。
科学史は、僅か115年ほど前彼の発見をキッカケに、変移元素なるリフォームされた物理常識に切り替わった。
なお、ベクレルの発見は、その前年レントゲンが写真感光紙を感光させる不可視な電磁力=X線を発見し、報告した経緯によく似ている。
人類は、それから僅か50年の短い間に、原子力爆弾の開発と使用まで一気に突っ走った。
そして大戦が済んだ後、本来制御不能な宇宙物理圏のエネルギーを平和利用の美辞麗句のもと、緩やかに爆発させることがあたかも可能であるような偽装プロパガンダをもって脚色された。
平和利用はアイデアの科学に過ぎないから、産業化の前提たる商業実験に取組む必要があった。
その実験は、太平洋の対岸にある国に押付けた。
押付けられたその国は、地政学的に「持たざる国」であった。近現代のエネルギー浪費体制下では、エネルギー自立が不可能な状況にあった。しかも、敗戦時に押付けた無条件降伏を楯にされれば、唯々諾々か渋々か?とにかく受入れざるを得なかった。
真の狙いだが、戦時中に支出した膨大な原子核分裂の研究ならびに開発に要した費用を付け回す。そして2度と国際社会に復帰させないようにする、ユダヤの悪智慧、テンガロンハットの悪意地があるに違いない。
要するに、原子力発電は、
宇宙物理圏由来の見えない”パワー”
人類の想像を超える、超長期の時間軸で消滅する”パワー”
生物に本来不要なほどの、集積された強力な”パワー”
人類の智慧では到底制御不能である”パワー”
を放出する地表の人工太陽で、地球なるバイオスフィア(=生物圏)におよそ不具合な、複雑かつ不可解な化け物であった。
しかも、地震多発ゾーン、津波常襲ゾーンである列島こそ、最も避けるべき危険地域であった。
そんなおぞましい”パワー放出怪物” まるで、宮崎駿ワールドのキョシンホウが、押付けられた過程は、語るに忍びない。
ラーメンと愛国の第1章を読んで、想像して欲しい。
小麦を原発と置換えて読めば良いだけである。
時代設定もキャスト(=主役は大統領アイク、助演陣ほぼ同じ顔ぶれ)も脚本までもが、寸分違わぬ「慈善事業的おためごかしを装う」など酷似する。

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

今日はこれまでとします