泉流No.54 ああ明治

* 古過ぎる  明治のシステム  もうアカン
〔駄足〕もうアカン。アカンのは制度疲労した現行の世の仕組の事である。
ただ、かつて関西に住んだ事も働いた事もなく、勿論関西人でもない。
アカンの意味なり、使い方なり、それがまた覚束ない。
17文字に収めるための便法として、門前の小僧流の関西弁だ。のっけから、脱線調だが、泉流たぁそんなもの。
序でだから一言触れておく。東京在住時代、関西弁アレルギーの御仁が目立つのに驚ろいた。そんなホルモンジン<放るモン人。なお、放るは西日本では捨てるの意味>は、相手にしなかったけど。
どこからが関西、どこまでが関東、その違いが、当時も今もよく判らないままなのだし、辞(=発声・発音)が差別の道具に化したとき、最も排除されやすい東北生まれだから、立場は鮮明である。
さて、本論?に戻る。
今年は、和暦法で換算すると、明治143年に当る。
昭和生まれは、換算と暗算とが必要なくらい、もう古い人間になってしまっている。
その悲哀を味わう場所が役所だ。役所の窓口は、何故か時代錯誤のアタマばかり。昭和生まれは平成との経過年数を通算する苦痛を味わわされる。
換算も暗算も愚の骨頂と考えるので、精しいことを知りたいと思わないし、詳しい事もよう言えん。専ら西暦法に依存し、無駄な頭を使わない方がベターだと信ずる。
タイトルだけは、聞いて来た。和暦法でなく元号とか言うのが、正しいらしい。
元号とは、元首年号?人間宣言一発で忘れられ、儀式専用のマリオネットに絡むか、この宣言を受けてタイムリーに行政組織は、直ちに元号廃止に係る法改正を行うべきであった。時代錯誤の古い頭どもが、またまたそれを怠った。しかもその対応は、60年以上も放置され、今日も見直しされないままである。
脱線ついで、元首年号制で潤うのは、印刷業者と紙屋くらいのもの。象徴天皇が体調不良で入院すると株価が上がるらしい。
そうだ。元号こそが、古過ぎる明治のシステムの一つだ。
そして消費期限が過ぎた・古いそれを143年も使い続ける、そのことを疑問と思わない行政組織が、制度疲労の極みにある社会のお荷物である、と言わざるを得ない。
〔駄足の蛇足〕
大坂で、この度、制度疲労を彷彿とさせる一大イベントが起った。
「大坂都」構想なる、中身がよく判らない事。その事が、この度のダブル選挙で支持された。大勢の賛同を得たのである。
この事は、この年この国で起きた大変革の2つ目に当る。
今年は、世紀的大事件が東と西とでバランスして起った。
3.11は、東の大地震と大津波。ここまで天災。加えて原発暴走事故。
後者は、生物圏の地球に宇宙物理・ソーラー圏の原子核エネルギーを持込んだ、了見違いから生じた人災で、収束するにはアト少なくとも2万年を要するらしい。
どちらも人類史、科学史を書替える。21世紀を画する大事件と言える。
11.27は、西の大「都」選挙。こっちは国の統治システムに対する異議申立に当る。消費期限が過ぎた行政組織に対する退去宣告でもある。
こっちの方は、「国」をクイモノにする一部の権力層だけにとってのみ災害である。
よってつまり、権力の外にある大多数の市民にとっての朗報である。
地方自治は、現行憲法にタイトルのみ設けられたが、なんら民主的中身の変更がなされないまま現在に至った。
統治システムの名実分裂は、憲法施行以来60年超もの長きに亘って、食違いを曝し、綻びを縫わないままで、無理矢理誤摩化して来た。
そうだ。統治システムの実質は、143年前に構築された軍性君主制の枠組を残したままである。制度疲労は揺るがない。
大「都」選挙は、国・都道府県・市町村からなる3段階制。その時代遅れの複雑・不可解な役人天国システムに”NO”を突きつけた。
行政体制の不合理に対する異議申立。これは戦後65年にして、初めての画期的大振動だ。
日本史を書替える事態に発展するに違いない。これまた21世紀を画する大改革の切っ掛けである。
3階層もあって、そこにへばりつき会議=調整連絡の後ろ向き仕事にばかり時間を費やす役人に対して、税金持ちの無駄メシ無料酒<タダザケ>をあてがう事を止めようじゃないかと大坂人は言っている。
そうだ、3段階でなく2階層で良い。すっきり合理化すれば、節税になり、役人天国の縮小になる。
朝の光は、東から。改革の兆しは、西の方から。