バリ&ギリ南洋見聞記No.31

ロンボク海峡渡航が主目的のギリ・トラワンガン2泊3日の旅からどうやら生還、急遽滞在地を変更し出発地のウブドに戻る。
勝手知ったるウブドでやる事と言えば、地図捜しである。例の懸案事案は未だ実現していなかった。兎に角じっくり本屋に浸り、帰国する前に4度目の諦らめを味わっておくべきだと思い、翌朝大通りをジャラン・ジャランした。
書籍専売の所謂本屋を1軒見つけた。さほど広くもなく、客が皆無だ。店員らしき女性は居たが、ただの会計係であるかも?会計係は役人で、客応対は義務外なのか?スーパーのレジ係とは随分異なる対応だ。
地図探し客など、全く客扱いされなかった。粘って長居する。やはり無かった。代償?に何か買って出ろよと、リッチ・ジャパニーズ?の半面が囁やく。英語版新聞を買う。
バリ・タイムズは週刊紙で、週1回金曜日発刊。2ンド・トップの記事が海難事故、火曜日の深夜から水曜日の早朝にかけてプニダ島近海で、漁船が転覆・沈没。沿岸警備当局は、11人死亡・14人行方不明、推定原因として定員超過(乗員3、乗客22人に対し14人超過の36人が乗船したもの。生存者11人)と海況暴風との2つを挙げている。
プニダ島の位置だが、第9稿でバリ島の構成を述べ略地図を掲げた際に、ウンコとした島である。ロンボク海峡の一画を構成する島でもあり、海峡の南側=インド洋側を占める。厳密に言えば、プニダ島とロンボク島の中間がロンボク海峡・プニダ島とバリ島の中間がバドゥン海峡となる。
そう大いに疑問あり。でも事実です、漁船に?何故そんな大勢の人が?それもわざわざ夜間に?
拙訳は続く。隣の小さな島レンボンガン(バリ島寄りの小島=nusa)で、宗教行事があった。その際使用した楽器を運ぶ漁船に、プニダ島に帰る島民が便乗したらしい。
当地で楽器と言えば、ガムランが思い浮かぶ。あれは金属製で重く、浮ばない。
さて、海況暴風だが、こっちの方は述べるまでもない。
この日の昼前後、筆者がギリT目指して渡海航走中であった。
船中で酷い眼に遭ったことは、前稿で既に書いたからだ。
2つの出来事の関係だが、時間差は12時間・間隔距離は100km以内<いずれも推定概算>だ。
この時の晴天暴風は、その日から少なくとも2〜3昼夜已まなかった。
因みに9月20〜22日前後の日本は?
台風15号が関東圏を含む東日本を襲い。首都の退勤サラリーマンは大被害=3.11再来の様相か?
ただ、以上3つの暴風を一つに括る事は無理かも?
日本とバリとは、赤道を超えて累積緯度差が30度を超える。異なる南・北、2つの半球の間で、互いに影響しあう。
果たして、そんな事があろうか?
どなたか教えてもらいたいものである。
この後、捜し物の地図、満足度まあまあのを買った。
ウブドからデンパサールに移り、バリ・ミュージアムを覗いた。ミュージアムを美術館・博物館のいずれに翻訳するか、さておき。地域の総合的・博物知識をレベルを保って、簡便にゲット出来る最も安価な方策。だがしかし、敷地に比べ展示ウエートは僅少かつ貧弱、落胆した。
空港を抱える最大の都市のはずだが、明らかに過疎化に向かい。ミュージアム最寄の名門ホテルもまた陳腐化しつつあった。産業社会は、もう幕を降ろそうとしているらしい、、、
今日はこれまでとします


デンパサール公園にて、  樹木全体に小梅大のアオリンゴ?