バリ&ギリ南洋見聞記No.28

ギリとは現地語で、小さな島と言う意味だ。
現地語と曖昧にしておくのは、バリ語か、インドネシア語か、それともマレー語かの確認を怠ってきてしまった。そこでとりあえず現地語にしておくが、どなたか詳しい方にお教えを頂ければ幸いである。
さて、今日からいよいよバリ島旅行記の最終コーナーを書く。その舞台は、ロンボク島に附属する3つの小島。その1つ、ギリ・トラワンガンである。
ロンボク海峡を重視する理由は、既に12稿に触れた。
バリから船に乗って対岸にあるトラワンガン島に2泊する計画を立てた。ロンボク海峡をとにかく一度行き来して、スムーズに通峽した記憶を残しておきたかった。そうすることがエネルギー自立の方策を打立てようとしない政治貧相国の住人の一人として、最低の役目であると思った。
意に反して往路にして、大いに往生した。帰路は、なんと予定外の島=ロンボク島に不時着地した。
「不時○○」とは、大袈裟なもの言いだが、アクシデントは旅に付きものでもある。生涯35年の間に27カ国も訪問して3回目だから、恵まれている方であろう。
バンコクから成田に向け飛立ったJAL機が、乗客の体調不調の訴えを容れ、出発地に戻った。それに乗合せ1回。
2回目は、アイスランド直行第1便に乗合せ。バス・トイレのすべてが受容能力オーバーとなったので不時着地。そこが北極圏内のトロムソ空港だったので北極圏滞在証明を交付された。
2回とも飛行機だが、「着地で」あって「着水で」なかったからか?未だ生きている。無論、金槌ではない、、、、
船で不時着地したのは始めて。乗った高速船は目的地に背を向けて緩速航走する。バリ島の東隣はロンボク島である。不時着地した港は、その大きな島の名も知らぬ保養地らしい小さな湾港であった。湾内は波静か。ノルマンディー上陸のように浜辺で蹴つまずく事は無かった。
乗船客20数名に、対応する船会社職員は1名。着岸次第、個々の交渉が始まり、その日のうちに国際空港から帰国便に乗る客は最優先扱いで、ロンボクの空港に搬送された。ケータイ電話を持つ白人の若者=サーファー?は、払戻金を受取りどこかに消えた。払戻の原資は間もなく底を尽き、残されたその他大勢は、おんぼろマイクロに乗せられて、どこかへ走り出す。
日本人は、我々2人組のみ。戦時捕虜?の如く護送された。何の説明もなかった。10数人の捕虜は一団となって、無言のままロンボクの山野を失踪するバスで、行く先も知らずただ護送された。
明日に続きます

不時着地と湾港遠景