バリ&ギリ南洋見聞記No.18

ウブド近郊の棚田視察コースは四方にあるので、とりあえず徒歩2日、レンタサイクルとハイヤーで各1日、都合4日かけて見て廻った。時々分水岐路を写真に収め、灌漑の仕組を掴むべくトライした。
それを要領よく伝えたいのだが、10日の第16稿から始めまだ終らない。いま少しお付合い頂きたい。
日本農業との共通点と相違点が、ぼんやりながらも見えてきつつある。
さて、昨日分水口の深さについて語り始め、取入水との関係を述べず尻切れトンボ。続きをやる。
深さに差のある分水口を加賀平野で見たことがある、しかし、バリでは見つからなかった。
深い分水口は、浅いそれよりも旱魃に強い。
深い側の下流農地は、渇水期になっても水涸れになるのは最後である、浅い方は率先して水が涸れる。
これは比率などと言う量の問題を通り越して、質の領域に突っ込む。
旱魃だけではない、長い間には洪水もある。
洪水の時やる事。余分な水を早く下流へ送る工夫だ。流域に未利用の氾濫原が多い南米大陸は別だが、とにかく速やかに海に届けたいもの。
自然に向合う農業は、いつも時間と空間の調整に悩まされるが、イネの生命は一度失われると戻らない。厄介だ。
ここでもう一度「覆水 盆に還らず」の一語の意味を噛み締めたい。
旱魃でも洪水でも真っ先に、そして長い時間に亘って被害を受けるのは下流農地である。
農業灌漑の末端は、河川もしくは海なのだが、濃尾平野の洪水は有名だ。中流域堤防を低位に設計しておけば、途中の氾濫原が溢れる。その結果下流〜河口付近に達するまでの時間稼ぎと下流域の氾濫面積を減らすことが出来る。
我田引水なる、もう一つの辞を思い出す。
分水岐路での、幅の差マターは平等を思わせるが、深さの差マターは構造的差別を感じさせる。
バリのイネ作りは1年に2期作乃至3期作となるが、畑作農業と異なり水稲栽培は水との格闘が休みなく続く、それだけ厳しい仕事であろう。
先日用水路で出逢った彼の表情にそれが現れていたような気がした。バリにはスバックと呼ばれる灌漑用水管理組合があると言う。おそらく加賀平野にも似たような仕組はあるはず。
遠い昔に聞いた水争いを回避するべく厳格と頑迷が合体したような自治組織。祭り神事を始めとして日々刻々の水門の開け閉めまで、地域の事をすべからく仕切る。最強かつ最古の人的結合体。当然に地域社会・経済・政治の枢要・中核である。
とまあ型通りに述べるも卓上知見でしかない。部外者には杳として見えないのが農業組織の常である。
そのことはまた、水路遠望の体験から容易に導ける事。朝寝したい・細長い紐状の生きモノは見たくない、などとヤワな𡴭事を言っている人間には勤まらない難題だ。
灌漑用水路は、とにかく長く・遠い。トンネル部分もある。狭過ぎて人が入れないのやら、出口と入口の接続関係が判らないものまで。要するに複雑不可解だ。
さて、最後にこの項のまとめ。
バリを紹介する文献には、階級、身分差ある社会構造と書いてある。筆者は疑わしいと考える。
その背景を2つ挙げておく。
深さに差を設けた分水口が無かったこと。大規模スケールの灌漑施設を見なかったこと。バリ島全島を未だ見ざる者の当座の見解ではあるが、、、、
明日は、農村風景を描きます