バリ&ギリ南洋見聞記No.16

ウブド周辺で見た水田耕作農業は、バリ島の暮らし=昔と今を集約して見せる姿であると思いたい。
そう言いきるには、他の地域を訪れ比較するべきだが、当面住まい近くの加賀平野を除いてそれを遂げる時間と費用がない。でも、バリ農業はバリ特有のもので、他のインドネシア地域とも少し異なるようである。
バリの水稲栽培は、おそらく数千年以上継続されて来た歴史を持つに違いない。そう感じた根拠は、経営スタイルが高度化しており、地域の風土に叶い、逞しく洗練されたシステムである点だ。
現地では灌漑の仕組を観察することに注力した。
水は高い所から低い所に流れるを再認識した。
その当り前の物理現象が腹で判るようになるまで、鈍・俗な筆者は数日の現場実査が必要であった。
はじめは、水路も道路も「流れ」と言う共通の前提に立つと想い込んだ。高速道路を走った経験から「流れ」の違い<上下の差や進行方向の違い>を離合・集散させる仕組=インターチェンジの延長で、農業用灌漑施設を考えた。
それが大間違い。灌漑用水は、一見すると道路や鉄道と似ているが、全くの別モノであった。
水路は最初<取水口>から最後<水を注ぐべき田んぼ>まで、離・散を保ち、集・合を阻むように仕組まれ。終端の田んぼで灌漑水系としての役目を終った時に、やっと離合集散勝手放題=自由解放となる。
大事な辞を1つ、「覆水 盆に還らず」。
農業灌漑でも上流域農地と下流域農地とでは、天と地ほどの隔差が厳然としてあることの例えである。大間違い判ってしまえば、コロンブスのヒヨコ。道路を流れる車は動力を持ち主体的、水は流されるだけだ。
棚田視察の2日目、現地の正装で決めて隆々たる恰幅老人を見かけた。日課であろう水路の見回り光景を偶然目撃したのだ。時々立ち止って屈んで、水路の端に架かる枯れ草や折れ枝を拾っていた。
当方はその時、分水岐路の構築状況部分を写真撮影していたのだが、眼が合ったので、2つの分水比率を彼に伝えようと思い立った。6:1と想定していた。
まず腕を2回拡げ、幅をアナログで示す。次に手の平と指を使う。こっちはディジタル表示だ。ひと呼吸置いてから彼は頷ずき、悠々とその場を立去った。
分水比率の概説を試みる、危ない事にこれが専門用語で何と言うかを知らない。ここはあくまでワットの個人的見解と理解されたい。
2つの分水口のそれぞれの幅<水平方向の大きさ>、即ちその幅の割合をここでは分水比率と呼ぼう。
三分一とか五歩壱とかの地名と出くわすが、一つの水系に繋がる農民の生殺を示す象徴的地名だ。読者の方々も日本中あちこちで出逢っているはずだ。
この比率が分水下流に位置する農地面積の総和を反映であれば、我田引水なる辞も生まれなかっただろう。
明日に続きます


棚田で見る分水口 2例