バリ&ギリ南洋見聞記No.15

ウブドに滞在している。この地の印象は、まず日本との近さであった。
日本語文字での表示,日本語での呼びかけ、などなど。現地人は気楽に声をかけて来るし、必ず日本人か?と尋ね,そうだと答えると,してやったりと頷くのであった。
同じアジア人としての共感か?
さもなくば、イスラム圏と異なる穏やかさと心の安寧がもたらすムードであって,大乗仏教とヒンディーの世界に住む者の間で共有する暗黙の了解である。
さて、ウブドだ。ヒンディー文化圏の精神的中心にある町であると直感した。それは、王朝時代の精神が、今生きる町の人の中に根強く息づいていることを感じたからである。
ウブドにあった王朝が、オランダに滅ぼされたのは20世紀初頭だから、歴史時間では近現代の事。
だがしかし、彼等の心情にある王朝文化への憧れや親しみは、未だ中世の時間軸から抜出てないと思わせるほど、緩やかな時の流れの中にあった。
ウブドに長期滞在した主な理由は、かの地の農業事情を実見することにあったので、最初の4日間くらいは、市内視察をそっちのけにして、連日周辺の農地をあちこち見て回った。
ウブド周辺は所謂棚田である。
筆者の住む町も米ドコロ=加賀平野にある。平野とは言葉だけで、緩やかな傾斜を活かせる扇状地形を、長期間かけて構築し維持して来た土地柄である。
扇状地形は、水量と水質が備われば、水稲栽培に最も適している。
そして、水稲栽培は長期定住を伴う運命にある。強く水系と結びつく農耕民は、保守性を通り越して頑迷性そのものである。
ここでの頑迷とは、生産の場と生活(=消費)の場とが、一体的にセット化されコネクトする必然性を意味する。その点同じイネでも畑地コメ栽培の陸稲型農業であれば、各段に緩やかな保守に留まれるはずだ。
水系に恵まれた農業こそ、耕作地を定型かつ定常に維持することが、至上にしてほぼ絶対的に従うべき、強固かつ頑迷な使命となる。
ウブドは、そんな水田地帯に四方を囲まれた、起伏の激しい地形の上にあって、中小河川の中流域に開かれた、センター・タウンであった。
センターとされる背景は、実に単純。まさしくバリ島の中央付近に位置する地理性、四通八達の道路アクセス性を備える。
だがしかし、ウブドは淳朴な農業民の居住区ではない。木彫りや絵画やバリダンスなど文化場面が豊富な中世型都市であり、現代では観光化の波に揺れ続ける悩ましいカルチャー・センターでもある。
その点において、ウブドは珍しい,希少性に富むカルチャー・タウンだ。
棚田は、描写に強い。始めに思った事は、地形が立体的だから、そうなるであった。
眺望の果てに、バナナの木やヤシが立っている。
それが水田の単調さを補い、より一層立体にしてみせ、風景を引き立てる。
実はそれだけではなかった。
遠望の中にある,足下の棚田、手前の棚田、奥の棚田のそれぞれが異なる水系に連なり、何重にも重なって一つ枠の中の風景を形づくるのであった。
バナナもヤシも、点景のためでなく実用の用に供えるための樹として、そこに置かれてあるのであった。
今日はこれまでとします