泉流No.53 夏の日

* 彩りの  樹々眺めつつ  ウチワ振る
〔駄足〕 今日8日は立冬である。句は過ぎた2日のことである。
11月2日は、夏日であったとメディアは報じた。確かに暑さを感じ、時ならぬ頃の団扇使いとなった。
因みに,夏日とは気象用語、日の最高温度が25度C以上になること。
2日とは、例年の立冬が11月7〜8日のうちだから、まかり間違えば,同じ週に「夏」と「冬」が並ぶ事態だ。
さはさりながら、世間の風景は9月頃から既に街路樹の彩りが、種類を増しつつあったから、台風が連れて来る季節の早まりを納得していた。
四季に梅雨と秋霖を加えた六季に向うのか?それとも夏と冬だけの二季に移行するのか?
21世紀の今日、気象の事を過去の延長で考える条件は,消えつつある。
そのことを異常気象なる安易な言葉で片付けるべきでないと、考えたい。
〔駄足の蛇足〕
人は自然に立向うことの出来る存在であるか・ないか?
それに対する回答は、人により、時に信仰や宗教により、異なるであろう。
吾人は仕組を理解しようとする範囲に留まるべきだし、これまで報告蓄積された科学知識すらも「部分知」でしかないとする立場である。
3.11の地震津波を始めとして、災害の発生が世界中で増大している感じがある。
太陽の黒点活動が戻らない現今の状況を踏まえれば、乾燥と洪水の異地域・同時期平行発生の気象現象は、リーズナブルだ。そして、更にこれから数年続くであろう常態化の懸念もある。
しかも、黒点活動は人事の及ない自然現象だが、それでも、人類は災害減少に立上がることは出来る。
しかし、現状の動きは、全く乏しい。事態のベクトルは、むしろ火に油を注ぐようですらある。
世界人口が70億人を超え。未だにあらゆる物資を長大距離、スピディーに、大量に移動させよう、と化石燃料を浪費している。
この2つが,全く防災・減災に逆行する愚行である。