バリ&ギリ南洋見聞記No.11

バリ島についての常識を修整してやれキャンペーンを第9稿(22日)から掲げ、設問毎のカウンター・パンチ?を昨日から順次繰出している。
インドネシアの中にあってバリは特異な存在だが、誰もが知るその常識から第9稿で抜出した4つの特異要素(=設問のこと)。それが、いずれも虚構に過ぎないことを看破してみたい。結末はどうなることやら誰も知らない。
『第2のカウンター』・・・植民地時代が、このバリだけ最も短かった=第9稿で掲げた特異要素の第2を再掲
ネシアは日本同様の火山・地震・温泉列島である。つまり共に「しまぐに」として括れそうだが、そうではない。
ネシアは植民地時代を経て、第2次大戦後の1949年に独立戦争を勝抜き共和国を樹立した。旧宗主国オランダの統治範囲をそのまま受継いでおり、構成する地域・人民の言語や風俗が多様(=日本人の好きな一括り路線=縦一線・横並びを当然視する価値観の対極に多様性はある)な点において、日本と大きく異なる。
大戦中日本軍が進攻した時、スカルノやハッタなど独立運動の指導者は既に活動を始めていた。日本の支配は一時的だったが、敗戦後に纏まった数の日本兵が現地に留まり独立戦争に加わる。独立のきっかけをこさえ、更に手助けした日本の一則面は、ネシアとの友好樹立に貢献している。
ここでネシアの植民地時代を概観しておく。キィーワード2つだけに絞込むので暫し辛抱されたい。
1、香料諸島
大航海時代を齎らした、最大の誘引交易品であるペッパー・ナツメグなどの香料は、主にネシア国マルク諸島から積出された
2、オランダ東インド会社
設立は1602年、ただの貿易会社だが、本国から独立国並の強い統治権限を付与された特権企業だった
この2つを以て,フンと鼻を鳴らした読者は、以下の文を読む時間の無駄からエスケープしましょう、、、、
さて、大航海時代は15半ば〜17世紀半ば。西洋が外部世界に対して行使した犯罪行為を総括する言葉でもある。加害者は白人、被害者は有色系と、究極のステレオだった。
彼等の犯罪は、西欧白人が一神教を背景に自らを神と信じ、対する有色の弱者を人でなく家畜とみて対処した組織行動であった。この人道に対する罪は、悪逆非道で実におぞましい。
因みに大航海時代なる歴史用語< Age of Discovery の意訳>は、増田先生と岩波書店の合作による名言創造で、ゼロックス・コピーやカップ・ラーメンと並ぶ20世紀最大の偉業であると考える<文末に参考文献を一括掲示>。
次にインドの意味。この時代の西欧人が夢想したオリエンタル・ワールドを示す語、具体的空間域を指さない。更にオランダ人に言及する。ダッチ○○の真骨頂は、土地に何ら執着を持たず、ひたすら金銭に殺到することだ。
唯一の欧州国として江戸幕府との交易を維持できた最大の背景は、彼等が土地にも布教にも拘泥しない事にあった。
事実上の対日貿易独占は膨大な利益を齎らし。ネシアに対し税収確保に徹する間接支配の道を敷き、直接支配を回避させた。
ナポレオン・フランスの領有=ダッチ本国の消滅は、オランダ東インド会社存続上の最大のピンチだった。
対日貿易は、アメリカの商船をチャーター<米国セーラム市所属フランクリン号がオランダ旗を掲げ1799長崎に入港=1999江戸東京博物館でのピーボディーエセックス博物館展より=文末参照>して継続させ、本国の消滅を長崎奉行に隠し通し、事なきを得た。
次にネシア植民地の支配だが,何と大陸封鎖に対処する必要からか大英帝国が一時的に肩代わりしてくれ、ナポレオン失脚後に返還してくれた。これまた事なきを得た。
さて、カウンターパンチの設問だが、バリ島が植民地化されたのは20世紀の始め頃だから、間違いなくネシア中最短の植民地期間であった。だがしかし、そのこと自体に大した重みは無い。
なんせオランダは、土地も、その地に住む住民の管理も煩わしいだけで、何の関心も無かったとすら言えよう。
ひたすらストレートにカネに迫るダッチ○○スピリットが、あの7つの海の支配者大英に先んじて、人類史上最初の経済金融の世界センターを達成した。しかし、エコノミー覇権の時代は短かった。間もなく経済のバブル化現象が起り、ロンドンに全てが移って行った。
このアンチ?・Bali・キャンペーンは明日に続きます

図説 大航海時代 (ふくろうの本/世界の歴史)

図説 大航海時代 (ふくろうの本/世界の歴史)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

[rakuten:takahara:10190722:detail]