泉流No.51 鳥海の峰

* 由利は栗  鳥海越えて  遊佐の鮭
〔駄足〕1週間ほど日本海を見ながら北上し、桧木内川中流付近まで達して折返した。
所々で,白鳥の飛来を目撃した。夏から冬へ季節が移行する時期は、山野の光景も緑系から赤・黄・茶系統などさまざまな色に移り行く。
ただ、大づかみな話をすると、紅葉には少しばかり時期尚早であった。しかし、山海の幸に出逢うタイミングはジャストであった。
句にあるが。栗拾いに木の下に行き、鮭の孵化場にも足を運び、鮭の遡上する川面を覗き込んだ。
後者の方だが、手を出して捕まえるアトラクションは、次の週末に予定されていた。
句に詠んだ鳥海とは、秋田・山形の県境にある東北地方きっての優山だ。
この山の裾は、日本海に突っ込んでいる。山塊を形成した造山活動期に噴出した溶岩が直接海中に達し、高地と岸壁を形づくっている。2つの県の行き来を妨げる自然障壁となっている。
〔駄足の蛇足〕
地元新聞の報ずるところによれば、講談鳥海山物語なる催しが行われたとのこと。藩政期庄内酒井藩と秋田佐竹藩とが、山頂争いをした故事に題材を採った、懐旧の話題らしい。
傍らでその話柄を聞きながら、国民性の発露を見たような気がした。古い昔の物知り談義に終始していて、ひたすら狭い。頭の中に至っては尚更狭いのだが、些事を話題に近隣圏域と勝った負けたと言わんばかりの過熱であって、未来への展望が全く無いのである。
明治軍制の制度疲労は、未だに進展を見ることなく。最高指導の任にあった人物の人間宣言は忘れ去られて、神格は未だに厳然とあるかのようであった。愚民教育の成果極まれリである。
因みに、この地域は未だに高速道路は未開通である。進行中の建設計画はあるらしい。日本海東北道と言う。
高速道路即ち社会インフラ整備とは思わないが、建設に付きものの景観破壊が無く、古く狭い地域自慢が根強く残る。それもまた人情であるが、若い人の姿が少ない寂しさ。世代・年齢構成の偏りが、地域紙の構成に反映する一端を垣間見た。
高速道路に関して言えば、東北道は既にある。日本海東北道なる名称からして,第2ラウンドであることを示している。そして、山形・新潟の県境地帯がまた、未開通である。
この2つの県境域は、高速道路建設用土砂採取に伴う自然景観の破壊がなく、古い日本固有の景色が保存されている。
その地域をゆっくりドライヴする。そしてそこに生きる人々の話を拾い聴きする。
それを壊すような土木工事が即ち社会インフラ整備とも、行財政の出番とも思わない者である。