泉流No.47 おきなわ哀歌

* これ我の  一期一會ぞ  震えけり
〔駄足〕白山なる山がある。三名山の一であるとか。因みに,他の2つは立山と富士山だと言う。
白山信仰は全国に信者を有し、古くから登山をすることが意味ある行為と考えられてきたと言う。
農業用水の灌漑と深く関わりがあり、白山流域圏は石川・福井・岐阜・富山の4県に及ぶ。登山のルートのことを古くは禅定道(ぜんじょうどう)と呼び、加賀・越前・美濃の3つが知られる。
石川県白山市白峰は,国道157号上にある集落だが、かつての越前禅定道に位置する要衝である。
その白峰に主な活動拠点を置く、僻村塾なる名を含む財団法人がある。
筆者はその県に転入した直後、その名前の珍妙なる事に魅かれて会員登録してもう3年になる。
定例行事化している沖縄の民謡ライブへの参加もまた、今日で3回を数えた。
と言いながら、果たして民謡とそしてライブと決めつけてよいかどうか、いささか心もとない。
と言うのは、唄い手「ネエネエ」と伴奏者の都合2名の出発地が沖縄であることのみ確実なだけで、2部構成の後半に出場する高名な女優「響き」。彼女は沖縄が出発地でもなく、担当する語りと朗読は、沖縄語で唱われる歌詞を翻訳する役割もある。
3人とも歌の合間に,近況報告的な話題を提供するが、沖縄現地レポートの内容は,とてもショッキングであって、日本国民の一人として聞き捨てならなものを感じ、不眠状態が一晩で終ることを願うばかりだ。
彼の地では米軍とその関係者による,主として自動車による人身事故が已然起ると聞いた。
その事自体、痛ましいが。運転者が公務従事を理由に、なんらの事情聴取を受けず、身柄拘束などの責任義務からも免れていると聞いた。
この後半の部分は、日本国民の一人として聞き捨てならぬものを感じる由縁である。
筆者は日頃メディア報道に無縁の暮らしなのだが、そのような無軌道な事件が、この国で起きているなどと聞かされた事はかつて無い。
沖縄と言えば,基地移転問題のみと思ってきた。
沖縄であれ本州であれ日本の内である。どのような立場、どのような業務の遂行中であっても,人を殺傷したら、警察職員の事情聴取を受ける。それが法治国、人権に拠って立つ社会の常識だ。
それ以上の難しいことは、一切判らない。
聞いた事の意味や背景も性格に理解できた自信もまた無い。だが、おかしいものはおかしいと思うから、眠れない。
沖縄問題と原発事故問題とは、同事もしくは同根であると感じた。アメリカ源発症候群である。
世界最強の暴力組織に歯向かう事が至難であろうことは、容易に想像される。それにしてもUSA連邦税をもって養われる存在だし,当のUSAは世界中で最も人権保障度の高い連邦憲章を掲げているのだ。口で言う事と実際の行いとのズレが激しいと、それは言行乖離症候群なのだが、、、、
グアンタナモプエルト・リコなどを実効支配する事実、その根拠が不明・曖昧なことは周知だが、オキナワをその中に含める屈辱は回避したい。
ここで3つに絞って考える事にする。時間軸、空間軸、そして事典の問題だ。事典とは、百科事典に掲載すると仮定して、どんな用語を使いどの範囲まで論理的に切込むかの課題を言う。
第1=まず、空間軸について。
グアンタナモプエルト・リコ、オキナワの3つに共通する課題は、治外法権の空間であると捉える。解決の方法だが、人道に反する罪として国際司法裁判に頼ること。
ここで厄介な脇道に触れておく。オキナワで起ることが、他で<米軍は全地球規模で駐留するらしい>起きているかどうかを検証しておきたい。
韓国やフィリピン、ドイツ、トルコなどに、同じ問題があるかどうか?
そして、三沢、横須賀、佐世保、座間などでは起きていないのか?報道されないだけなのか?もし、沖縄だけに起る問題だとしたら、米海兵隊の資質に的を絞れそうなのだが、、、
最も深刻な事実がある。所謂日米地位協定が、事実上の治外法権不平等条約となったままであること。その認識を持たないリーダー<閣僚、行政官僚、司法官僚など>の資質と国制のありようをどう手直しできるか?
第2=次に、時間軸について。
オキナワは他の2空間と共通しないと措定して、オキナワ固有の過去は、無条件降伏、ミズーリ協定、人間宣言サンフランシスコ講和条約沖縄返還協定、安全保障条約の締結〜延長協定と、掲げるだけで気が遠くなり、誰にとってもお手上げである。何故なら,全てに密約問題が絡んでいるためである。
これら全ての要素が開示されない以上、あらゆる検討は空に陥る。そして、当時の外交の要にあっていずれも歴史的評価の高かった首相、外務・防衛の閣僚、外務・防衛の官僚がいずれも売国者的傾向があったと言わざるを得ず、再評価が必要となる。
第3=最後に,以上2つの課題に論理的展開の要約を経て、事典上に掲げる字句の確定に至る必要がある。その段階に達して始めて、国民レベルの
討論が可能となる。この過程を通らずに現状のまま、ただただ、選挙で投票するだけの政治参加レベルでは,国民国家<他に用語が無い。国は家でなく、家の譬えもまたなじまない>の水準にも達しないばかりか、近現代市民社会の水準には遥かに遠いと言うべきだ。
長いことグダグダ述べたが、もう夜明けは近い。
リーダー不在の今日、もはや国の体を成してない事は明らかであり、ジャスミンレヴォリューション同様の国民規模での対応をとる以外に、オキナワ問題の解決もまたないように思う。
既に65年の長きに亘って放置してきた国民性を考えると、それもまたムベなるかなと思わない事も無い。手っとり早い解決案はありそうだ。
県条例でも設けて、米軍組織向けの代行運転事業を自治体主導で運営するのはどうだろうか?
市町村条例でもよい。要するに,ゴミかクズの回収事業に限りなく近い仕事である。
米軍ゲートの正面に、こっちサイドの検問所を設けて全部送り迎えをしてあげればよいのである。
費用の面でもタカがしれているし、思いやり行財政措置の一環と割切れば良い。住宅やら生活消耗費までもって挙げている現実<これまた被虐的事実だが>の延長であると考えられる。
売国者的傾向の八方美人的中央行政に依存し続ける限り,半永久的に解決は遠いのである。