泉流No.45 地名由来の4

* 我のみは  格別と思う  郷土愛
〔駄足〕本稿は「松任」地名由来考の続編=第4稿である。この3年間思って来た事の中間報告だが、先行稿はNo.41,43,44である。
句の意だが、
地名研究を趣味とするまでは問題ないが、郷土繁栄を願う情熱が観光誘客などの立場と時に合作するのは行過ぎである。もはや研究の領域に収まらず、工学の分野に逸脱した段階に変わる。
地名の解明は、答の無い探索であったり、一回性の否定であったり,することがある。結果がすべてではなく、中間過程であったり、或は着手点の確定であったりする。熱情に囚われて成果を歪めたりすることがあってはならない。
さて、本題である。
筆者が「貴船の宮由来」石碑で知ったマットウなる地名成立の由来。それは地元では揺るぎの無い史実の一部であった。
その一端を列記しておく
1、松任町史162頁<松任町役場/昭和33年刊>
  3頁に及んで町名の由来を詳述するが、記述  の重点は千年前から「町」であり、城下町で  あり、藩政時代も金沢・小松と並んで町奉行  が置かれた、の3点にあると感じた。
2、郷土と文化〔第28号〕18頁<松任市教育委  員会/平成13年刊>
  松木中納言書簡の写真とその読下し文が載っ  ている。
  現物の所蔵者は、虫干法会で有名な本誓寺。
  松木中納言が書いて、大納言に宛てた体裁。  内容は贈り物への謝礼と何らかの継続事案の  連絡であるが、虫食いがあり不明。
  月日の表示あるも年表示を欠く。
  ○ この書簡は上述1の町史(資料コーナー    写真版)にも掲載されている
3、町名の由来について、幕藩時代加賀藩庁に対  して書上げを提出したとある<未見です>。
とまあ、地元にはこのように強固な信仰とも呼ぶべき地名由来譚があった。
由来の中核は、地名=松任の2文字が「松木に任す」なるストーリーから要素文字を抜いて合成さした点にある。しかも人物の実在を補強するような恰好の手紙があって、重要文化財など寺宝を多々所蔵する地元の名刹に残っている。
なんとも出来の良い話だが、まとめは明日に持ち越したい