泉流No.44 地名由来の3

* 人を得て  7−28は  地名の日
〔駄足〕本稿は地名由来考の続編=第3稿。『松任=マットウ』なる地名について、この3年の足取りを語るエッセーである。
因みに初稿はNo.41 第2稿はNo.43です。
その前に句の意を語る。
7月28日が地名の日であることは、知る人ぞ知るインシデントだ。なんと制定の日がある個人の命日に因むそうだから、人を得てと言わざるを得ない。
名は山田秀三(1899〜1992)と言うが、アイヌ語で説明できる地名を研究し、列島全体に散在する地名の由来がアイヌ語彙をもって地理上の特徴を解明した事が主な業績であると言う。耳の知見は金田一京助から、そして自らの足をひたすら諸方面に運んだらしいから、その言説は迫力に富むと言わざるを得ず、我邦稀なる研究姿勢スタイルでもある。
因みに人を得たとする謂れだが、敗戦をもってすっきり退官したエリート官僚であった点を指す。経歴において柳田国男を彷彿させる。
さて、本題だ。
○補足の第5で述べたとおり、国司松木氏の探索活動は終えており。今日は周辺トピックスを述べるのみである。
○6 松木なる姓はどんな地縁を持つか?
新編・姓氏家系辞書1162頁に4つの見出しがあり、九州・東海・関東の3例がまずあった。
末尾の松木家は藤原北家・中御門流。中御門家の別號=京師とある。
○7 上代の加賀に多く荘園があった、京師との近さ、中央貴族(=在京師)の家系に着眼し中御門家にスポットを当てることとした。上掲辞書943頁に7見出・6流あったが、摂家流は別號に当らないので除く。残る5流から1系統をあえて選ぶ。後述の事情から勧修寺流・吉田資経を祖とする號中御門大納言が相応しいと考える。
○8 一挙現代にワープする。
図書館備付けの電話番号簿に当ってみた。石川県<人口約110万人>内に76件(番号を掲載しないアクセス不能ケースある)あった。
概ね半数が能登地域に、隣接大都市金沢市に15件、足元の松任を含む白山市内に8件であった。何らかの有意性が認められる。
9 以上でもって、松木探索を終えます。
このテーマは続きます。