泉流No.43 地名由来の2

* 人が先  はなから地形  決めかねる
〔駄足〕本稿は地名由来考の続編=第2稿。初稿は泉流No.41(7月29日作成)だから、約4週間の空白であった。
因みに句の意は、地名の由来についての常識を述べたに過ぎない。地名は固有名詞と思われやすいが、現実はそうとも言えない。人名がそうであるように地名もまた似たような地形に同一もしくは類似の一般名詞が充てられることは多い。
さて、本題の『松任=マットウ』にも、人名として松任十郎と名乗る人物がいた。藤原範光である。公卿補任310頁以下の時長孫(民部卿)系・林氏のうちであるが、同系統・同時代人物の数人が、白山長吏や加賀守/介などに任じられている。
つまり、文献史料ながら中央貴族の特定一族に加賀国地縁人物が集中する事実と売官が存在したであろう歴史推測からして、松任十郎藤原範光の実在性はほぼ確実である。
和名抄に出てくる拝師<はやし>郷の比定地は、隣接野々市町にある末松・上林・中林・下林とされ(角川書店版・石川県地名辞典1135頁)ており、音価からも時長孫系・林氏と重なっている。
さて、本題に入る。掲文=本文および補足の第1・2については初稿=泉流No.41を参照されたい
○補足の第3。
国司松木氏だが、加賀・越前の両国ともに該当する姓名の者は見当たらない(出典/書府太郎・巻末資料764頁以下。所謂県史だが、国司一覧表を掲出。因みに加賀国は越前より分国立国されている)。
なお、この国司一覧表は空欄が目立つ。律令規定による在任期間の経過と重任・後任発令の記事が史料に欠けている事実をもって空欄としたものであろう。
○4、国衙四等官制である。国守以下3官についての一覧表を作成することも理論上は可能となるが、史料上の欠缺は更に増すであろうことが予想される。
このように立論する理由はこうだ。
国司すなわち国守と限定せず、在地庶民層は国衙に在籍する役人(現地採用者も含め)をなべて国司と呼んだであろうとの想定に立つ。
5、いずれにしても、松木なる姓名を持つ官人を発掘する事は困難であった。
今日はこれまでですが、松木探索は続きます